マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
高校球児の人生が変わる秋の熊野。
全国の強豪と地元校が出会い……。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byShinichi Hatanaka
posted2018/12/05 08:00
豪華な設備とは言えないが、秋の熊野には高校野球の本質がずっしりと詰まっていた。
「安倍さん」と声をかけられ……。
紀南高のネット裏で、思いがけずこんなことがあった。
「安倍さん」と声をかけられて振り返ったそこに立っていたのは、紀南高3年生・岡秀俊君。実は、去年の熊野で、私は彼の“3番・遊撃手”としてのプレーに惹かれ、このコラムで文章にしていた。
「……捕球→送球のスピード感がすばらしい。ポン、ポン! でボールを出せる手のひら感覚と指先感覚。
打席で構えた姿が大きい。スタンス広め、グリップの位置も高く、背中もまっすぐ立っている。大きく構えられるのは、『さあ来い!』の気持ちの表れだ。自信持ってるな……と思っていた」
しなやかな動きのフィールディングとスイング、さらにストライドの大きなランニングフォームに、私はすごい伸びしろを感じたものだ。
179cm67kg(当時)のスリムな体型はそのままに、野球部の秋らしく、髪型だけは今風のスポーツ系の青年になっていた。あのコラムのせいで、彼は一躍学校の“有名人”になってしまったという。
「それも嬉しかったんですけど、それより、こんなボクなんかでも見ていてくれる人がいるんだっていうことが嬉しくて。あれ以来、一生懸命やってれば必ず見てくれている人がいるってことを信じられるようになりました」
大学からもいくつも声をかけていただいたらしいが、トヨタ自動車の関連会社に就職して、軟式野球を続けるという。
岡君が嬉しく感じてくれたその100倍も、こっちのほうが嬉しかった。
熊野は、人生が変わる場所である。
同じ夏までの紀南高のチームで、エースとしてマウンドを守った横辻海投手(180cm83kg・右投右打)も「プロ志望届」を提出してドラフト指名を待ったが、今回は叶わず甲賀健康医療専門学校に進んで、2年後のドラフトに再度挑むという。
彼もまた、「秋の熊野」で強豪相手に互角の勝負ができたことで意欲を触発され、前を向いた。
秋の熊野にやって来た強豪、名門たちによって“全国”の洗礼を受け、それをきっかけにして、「秋の熊野」を人生の転機にした紀南高の2人。
今回私が知り得たのは彼ら2人だったが、2人いれば見えない所で10人いたっておかしくないのが「世の中」というものだろう。
秋の熊野は、単なる野球の腕試し以上の成果を見えない所に残しながら、ある意味、かけがえのない「教育の場所」としてこの先も続いていくことだろう。