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もし川口能活が登場しなかったら。
日本サッカーを変えた男の引退。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byAFLO

posted2018/11/05 11:30

もし川口能活が登場しなかったら。日本サッカーを変えた男の引退。<Number Web> photograph by AFLO

川口能活はGKの、そしてサッカーのイメージを変えた。胸を張って引退の瞬間までピッチに立ってほしい。

25年のキャリアでもっとも厳しい時期。

 新天地に選んだのは、2部リーグのポーツマスだった。クロアチア代表MFロベルト・プロシネツキを同時期に獲得したチームに、プレミアリーグ昇格への即戦力として迎えられた。'98年のフランス・ワールドカップで対戦したふたりは当時の印象を胸に温めており、「ロビー」と「ヨシ」と呼び合う間柄となる。

 '01年11月のリーグデビュー戦は、勝利で飾った。しかし、ポーツマスではスポットライトの外側へ押し出されていく。プレミアリーグ昇格争いから遠のくチームで、日本からやってきたGKはスケープゴートにされたのである。

 ポーツマスで定位置獲得に至らず、日韓ワールドカップでも楢﨑正剛に正GKを譲ったこの時期は、25年に及ぶキャリアでもっとも厳しい時期だったかもしれない。

ハイライトは、見る人の数だけある。

 キャリアのハイライトはどこだろう。彼のプレーを見つめてきた人の数だけ、答えがありそうだ。

 28年ぶりの出場でサッカー王国ブラジルを撃破した、アトランタ五輪の“マイアミの奇跡”か。

 鬼神のごときセーブでチームを窮地から救い出していった、'04年のアジアカップか。

 ダリオ・スルナのPKを止めた'06年ドイツ・ワールドカップのクロアチア戦か。

 得意のPK戦で2本のシュートストップを見せ、オーストラリアを下した'07年アジアカップ準々決勝か。

 自身のベストマッチを聞かれた川口は、「うーん……ひとつには絞れないですね」と唸るものだった。ひとつではなく3つ、4つと印象的な試合をあげるのがパターンなのだが、そのなかで漏れなくあがるのが2000年のアジアカップ決勝である。

 レバノンで行われたこの大会で、川口は苦しんでいた。グループリーグ初戦から爆発的な強さを見せつけていくチームで、彼だけは乗り切れずにいた。

 しかし、サウジアラビアとの決勝で本領を発揮する。恐るべきアウェイの空気のなかで、決定的なシュートをことごとく弾き返した。

【次ページ】 「日本のGKがカワグチだったから」

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川口能活

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