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福原愛が日本卓球を変えた2つのこと。
早期教育と、中国語を覚える大切さ。 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2018/11/01 17:00

福原愛が日本卓球を変えた2つのこと。早期教育と、中国語を覚える大切さ。<Number Web> photograph by AFLO

引退会見に目をうるませて登場した福原愛だが、最後は最高の笑顔を見せてくれた。

「愛の前後にも『天才少女』はいた」

 雑誌『ニューヨーカー』の作家、マルコム・グラッドウェルは、

「スポーツに限らず、他者に抜きんでるためには、1万時間の投下が必要になる」

 と指摘しているが、福原は10歳になる前に1万時間の練習時間を突破していたと思われる。

 福原は1997年、小学校3年生の時に全日本選手権のカデットの部(13歳以下)で優勝しているが、ちょうとこの時期に1万時間に達していたと思われ、ジュニア世代でトップレベルの力を見せるようになっていた。

 早期教育によって練習時間を積み重ねることが中国対策に有効なのは、福原だけでなく彼女につづく伊藤美誠、平野美宇、そして男子では張本智和が証明している。

 ただし、早期教育はリスクを孕む。尋常ではない時間を卓球に捧げなければならないからだ。

 千代さんはいう。

「愛の前後にも、たくさんの『天才少年』『天才少女』と呼ばれた選手がいました。でも、いつの間にか消えていったりして。愛も同じような選手だと見られていたんです。しかも、テレビに取り上げていただく機会も多く、嫉妬もかっていたと思います。『あそこはいつダメになるのかしら?』と見ていた人たちも、少なからずいたはずです」

 周囲からの注目を集めながら福原は順調に成長を遂げ、16歳でアテネ・オリンピック代表に選ばれる。

 彼女の成功は、早期英才教育のまたとない成功例となり、日本の卓球を根底から変えた。

3歳で出会った中国語と卓球の関係。

 そしてもうひとつ、福原が世界のトップレベルにまで到達した理由として、中国語を完璧にマスターしたことを指摘しておきたい。

 もともと彼女が中国語に触れたのは、兄にコーチがつき、中国語で指導が行われていたからだ。3歳の彼女は、本場の言葉を耳で聞きながら育った。

 言葉の習得は、どんな影響を与えるのか。

【次ページ】 中国語は卓球についての言葉が多い。

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