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サンチャゴ・アロヤベの勇気と情熱。
障害を乗り越えプロのサッカー選手へ。 

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ロムアルド・ガデベク

ロムアルド・ガデベクRomuald Gadegbeku

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posted2018/10/02 07:00

サンチャゴ・アロヤベの勇気と情熱。障害を乗り越えプロのサッカー選手へ。<Number Web> photograph by DR

プロサッカー選手になる……という夢を粘り強く、絶対に諦めず追いかけたサンチャゴ・アロヤベ。ハンディキャプと偏見を乗り越えて、夢を実現したのだ。

「他の選手を動かす10番こそ僕のポジション」

 相手との接触を避けるのは、アロヤベにとってプレーを続ける唯一の方法であった。

「サッカーをはじめたときから、僕は戦いには絶対に勝てないし、コンタクトは出来るだけ避けるべきだというのはすぐに分かった。他の選手たちを動かす10番こそが僕のポジションで、パスが最大の武器であると。だから常に衝撃を避けながら、味方や相手の動きを読んでプレーすることを心掛けているんだ」

 ハンディキャップを抱えるからといって、誰も羨む必要はないとアルバレスは考えている。

「彼をずっと見ているが、U-20では不動のレギュラーだ。自分でもゴールを決めるし味方のゴールをお膳立てする(今季5月中旬まで2得点11アシスト)。トップチームに引き上げたのも、試合や日々の練習で積み上げてきたものを評価したからだ。その意味で健常者と何ら変わるところがない」

 現在はまだアマチュア契約であり、来季にプロ契約を結べることをアロヤベは願っている。その希望が彼に力を与えている。

「可能かどうかって? 僕はそんな風には考えない。プロになれる自信があるし、確たる根拠はないけど、夢を実現できると信じている」

家族の支えが彼の未来を開いた。

 家族の支えが彼に信頼を与えている。メデジンの中流家庭の、3人兄弟の末っ子(兄と姉がひとりずつ)としてアロヤベは生まれた。飛び抜けて裕福ではないが貧乏でもない。家族の過不足ない愛情を受けて彼は育った。

 サッカーに集中するために、両親の承諾を得て中学校は1年で退学した。その両親は、彼が4歳のときから水泳とサッカー、自転車を習わせたのだった。

「本当に活発な子供で、飛び回ったり物を投げたりして、家のすべてのものを壊しかねなかった。スポーツは有り余るエネルギーを発散させる唯一の方法でした」と母親のオルガが当時を振り返る。

 それがターニングポイントでもあった。

【次ページ】 「限界は自分の頭の中にある」

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