終われない男の対談集BACK NUMBER
早大の生徒・鏑木から、コーチ・瀬古へ。
30年後に伝えた「後悔」と「お礼」。
text by
礒村真介Isomura Shinsuke
photograph byShin Hamada
posted2018/10/07 10:00
建設中の新国立競技場前で、瀬古利彦と鏑木毅という知られざる師弟が再会した。
瀬古「プレッシャーがあるから上にいける」
鏑木 瀬古さんは「50歳」のときのことを覚えていますか?
瀬古 現場を辞めて、少し休んでいたころかな。選手、コーチ、監督と突っ走ってきて、自分の時間をもらってひと息つきたいと思っていたころ。今は陸連のリーダーという立場を任されていますが、2020年に向けて正直プレッシャーもありますよ。
でもね、プレッシャーのない世界なんてないんです。プレッシャーがあるからこそ上にいける。それを勝ち抜いていくのが本当の選手でしょう。そもそもプレッシャーっていうのは期待の裏返しってことだから。楽しめばいいの、プレッシャーを。こっちが楽しむと選手も盛り上がってくれるからさ。
鏑木 プレッシャーはありがたいですよね。でも、2020年の東京五輪でマラソンに出場する選手たちには、母国開催ということで想像もできないほどの大きな重圧がかかるはずです。ただ、個人的には今の日本のこの暑さ、この湿度のなかで走る42.195kmは厳しいけれど、勝負という意味では優勝タイムも落ちるし、逆に日本人選手にはチャンスなのではないかと思っています。陸連のプロジェクトリーダーというお立場から、どう思われますか?
瀬古 チャンスだと思っています。世界のレベルが上がっているし、甘くはないことはわかっていますが、少なくとも男女どちらかでメダルを取ってもらいたい。この気象条件に一番なれているのは日本人なのですから、味方につけないと。
「楽しい? そんなものはまったくないよ」
鏑木 僕は50歳でのUTMBへの挑戦を「NEVER まだ終われない」というプロジェクトとして取り組んでいるのですが、瀬古さんご自身にとって「まだ終われない」ことはありますか?
瀬古 やはりマラソンでの金メダルかな。日本がボイコットしたモスクワ五輪で、多くの人が「本当は瀬古が金メダルだった」と言ってくれるけど、最後まで五輪の金メダルは取れなかった。それが指導者としてのモチベーション、原動力になっているような気がするね。過去には円谷幸吉さんや君原健二さんが日本を盛り上げてくれましたが、マラソンが元気になると、日本中が元気になるんです。だから東京五輪で結果を出させてあげたい、という使命感があります。
鏑木 確かに設楽悠太選手や大迫傑選手が活躍しているから、いまは活気付いてますよね。ちょっと唐突な質問なのですが、現役時代の瀬古さんは、走ること自体に「楽しい」という感覚はあったんですか?
瀬古 楽しい? そんなものはまったくないよ、キツいだけ。でも勝つことは楽しいんだ。勝てなかったときの涙を思って、そのぶん練習で泣こうと思っていただけ。だから練習ではどんなことでもやろうと。自分の得意なことで負けるとイヤじゃない。不思議と勉強で負けても全然悔しくはなかったんだけれどね (笑)。
鏑木 やはり、負けず嫌い、勝ち気であることは大事な要素ですね。
瀬古利彦(せことしひこ)
1956年生まれ。早稲田大学競走部の在籍中からフルマラソンの世界で活躍し、通算15戦10勝と無類の強さを誇る。現役引退後はエスビー食品や早稲田大学などで指導にあたり、現在は日本陸連の強化委員会でマラソン強化戦略プロジェクトにおけるリーダー職と、横浜DeNAランニングクラブの総監督を務める。
鏑木 毅(かぶらきつよし)
1968年生まれ。28歳のときにトレイルランニングのレースに出場して優勝、その後、国内のレースを数々制覇する。40歳のときにプロへ転向し、主に100km以上のウルトラトレイルの国際レースで活躍。とくに世界最高峰のレース「UTMB」では何度も入賞し、最高3位に輝く。現在は2019年の夏に50歳で再びUTMBへと挑戦する「NEVER」プロジェクトに取り組む。