オリンピックへの道BACK NUMBER
「怖い怖い」から「ガツンと本気」に。
モーグルの伊藤みき、もう一度挑戦!
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2018/07/08 08:00
トリノ、バンクーバーと五輪での活躍を経て、ソチでは怪我で無念の棄権に。北京冬季五輪で、3度目の正直となるか。
毎年トレンドが変わるモーグルという若い競技。
ワールドカップが開幕すると、今度は自身の思い描いていた滑りと、ジャッジの観点のずれに気づかされた。
「3試合目の中国のときですね。全体は流れに乗ったいい滑りだったと思うんですけど、点数が出なかった。ファーストジャンプの着地がほんの少し左にずれたことがジャッジからは大きなミスと見られ、ターンからもエアからも点数を引かれたんです」
採点競技の中には、シーズンごとにスコアリングの傾向が変わるものもある。
「モーグルは生き物のように、そのときどきのトレンドが変わってくる若い競技ですから」
気づいても、目指してきた滑りはほぼできあがってきている時期だ。その段階から変えようはなかった。
内心、苦しみながら戦い続けた。
あと一回だけ12位以内に入れば五輪へ行けた……。
平昌オリンピック代表に選出されるための条件は、前のシーズンと合わせて、選考対象の大会において、(1)8位以内を1回以上、(2)10位以内を2回以上、(3)12位以内を3回以上のいずれかを満たすこと、と定められていた。中国の大会で12位となった伊藤は、あと一度、12位以内になれば(3)の条件をクリアできる位置につける。
だが、その後の大会でも結果が出ず、年が明けて1月20日、最後の代表選考対象大会であるカナダ・トレンブランでのワールドカップでも22位に終わった。
4大会連続出場はかなわなかった。
「試合のあと、みんなでクレープを食べに行きました。オリンピックの選考大会に出た、ある種仲間のような感じがしていました。一緒に戦えてどきどきしたり、わくわくしたりしていたのに、あの気持ちはもうないのかという喪失感がありました。
オリンピックに出られない悔しさもあったのですが、そのときはちゃんと受け止められていなかったと思います」