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日本ハム、唯一の永久欠番「100」。
今も残る大社義規オーナーの愛と熱。

posted2018/06/22 11:30

 
日本ハム、唯一の永久欠番「100」。今も残る大社義規オーナーの愛と熱。<Number Web> photograph by Kyodo News

大社義規氏(左)は徳島の食肉加工工場から出発。'63年に日本ハムを設立し、トップメーカーに成長させると、'73年にはプロ野球に参戦した。

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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Kyodo News

 永遠に風化させてはいけない史実がある。先人の思いは、ひっそりと伝統となって息づいている。

 前身の日本ハムファイターズは1974年、昭和49年に誕生した。

 2004年に北海道日本ハムファイターズへと名前を変えた。それは平成16年の札幌ドームへの本拠地移転で転機を迎えたからだ。

 来年5月、新元号となる。長くプロ野球界に根を張り今、平成ラストのペナントを目指して戦っている。

 平成の元号では最後の父の日は、6月17日だった。

 ふと、立ち止まって考えてみた。

 そう多くの人が、知ることではないだろう。周囲に語る人も、少なくなった。ファイターズは永久欠番を、1つだけ設定している。12球団で、オーナーでは唯一、野球殿堂入りもした人物がいる。自慢である。

「先代」のために支えた背番号100。

「100」

 初代オーナー大社義規氏へと捧げている。2005年4月、90歳で死去した。翌年に44年ぶり日本一に輝いた。多くの人は「先代」と呼ぶ。存命時に叶わなかった悲願を、天国から見届けた。

 故郷、香川県で安らかに眠る。故人を偲び、歴代ファイターズの監督は毎年、墓参をする。

 その偉大なオーラに接したことがあるスタッフ、選手、職員は少なくなった。私は、実像を知らない。物語のように伝聞で耳にする、大社氏の壮大な人間としての器。小職に現在できることは、その人物像に思いを巡らせることだけである。

 一代で、日本ハムグループを築き上げた。そして、プロ野球球団のオーナーになった。昔話を聞くだけであるが、野球、ファイターズへの思いは深い。球団経営のトップに立つオーナーであったが、聞けば聞くほど無償の愛情にあふれていた。

【次ページ】 お金は出しても、口は出さないタイプ。

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