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「ああ、ベースボールしてるなぁ」
西武・木村文紀の野手転向6年目。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2018/05/17 10:30
野手転向6年目の木村。投手の経験が長い分、ピッチャーの心理も手に取るように分かる。
渡辺久信二世が2012年に野手転向。
木村は埼玉栄高校時代から超高校級のエースと騒がれ2007年、ドラフト1位でライオンズに入団した。背番号は41。マックス150キロを超える速球を武器に、渡辺久信(現シニアディレクター)二世と期待を寄せられた。
2007年に一軍初登板を記録。2011年には一軍で自己最多の21試合に登板し、プロ初勝利を挙げた。しかし制球難や腰痛に悩まされ2012年のシーズン終盤、投手から野手に転向する。
野手転向直後の秋季練習では連日1500回以上バットを振り込み、守備練習にも汗を流した。体重が10kg落ちて、ベルトの穴が足りなくなった。そして野手に必要な筋肉をつけるうちに体形が大きく変化したという。
投手の心理が手に取るようにわかる。
「いつまでもピッチャーからの転向組だという目で見られるのは嫌なので……」と意地を見せる一方で、こうも語る。
「打てなかったことをずっと引きずって、守備でミスをするのは僕のような選手は最もやってはいけないこと。野手に転向したばかりのころは、エラーをしたら『ヤバいヤバい』と焦り過ぎて、バッティングにも影響してしまった。この何年かでバッティングはバッティング、守備は守備と切り替えることが大事だと学びました。何より、守備のミスはピッチャーに迷惑をかける。足を引っ張ってしまったという罪悪感が大きいんです。やはりピッチャーの気持ちがわかるので」
投手経験が長い分、ピッチャーの心理が手に取るようにわかると語った。
野手転向後、2014年には一軍で100試合に出場し、10本塁打という成績を残した。2017年に自己最多の105試合に出場。しかし今シーズンはライオンズ打線があまりにも好調だったため、3月、4月は15試合の出場に留まった。
そして、ようやく5月に入り、出場機会を徐々に増やしている。