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鹿島の窮地を救うのは、鈴木優磨!?
「ブーイングがないのは心に来る」
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byGetty Images
posted2018/05/04 17:00
11節終了時点で、鹿島アントラーズの得点数はJ1最少。鈴木優磨のゴールに期待は集まっている。
王様だった子ども時代から、初めての挫折。
練習がある日もない日も、いつもボールを蹴った。小さいころからボールを離さないドリブラー。「とにかくボールを持つのが好きだった」から、ボールを持てばいつもゴールまでドリブルで進んだ。
「王様だった。小6のとき、全国大会のベスト16の試合では5人抜きしてゴールを決めたこともあります」
スクールからジュニア、ジュニアユース、ユースと順調にステップアップした。ユースに上がっても、変わらずエースとして活躍し、高校2年の終わりにトップチームのキャンプに参加。意気揚々と参加したが、待っていたのは初めての挫折だった。
「サッカーやっていて、こんなの初めて。終わった、と思いました。何も通用しなかった。どうやっても差は埋まらない。プロになるのは無理だと思った」
ユースからともに参加していた田中稔也(現鹿島)と「早く帰りたい」とぼやき合い、苦しい日々を過ごした。
サッカー観もいつしか「みんな」に。
ここで鈴木はプロの道を諦めなかった。キャンプ後、とにかく必死で練習した。また、サッカーへの意識も「自分1人でやっている王様」から「みんなで戦って勝利を目指す」という考えに変わった。
そして2015年にトップへ昇格。新加入会見では熊谷ユース監督をはじめ、周りで支えてくれた家族、これまで指導してくれたアントラーズアカデミーの監督やコーチへ感謝の言葉を繰り返した。
プロ入り後は天性の勝負強さで、今の位置まで上り詰めてきた。
1年目から2ゴールを挙げる。初ゴールは'15年9月12日J1セカンドステージ第10節のガンバ大阪戦。0-2のビハインド、残り16分の場面で登場してカイオのクロスを頭で流し込んだ。2ゴール目は同14節の柏レイソル戦で、残り7分の場面で登場して終了間際に左足でゴールを決め、3-2の劇的な逆転勝利の主役になった。
2年目には、いきなり開幕戦でG大阪を相手に決勝ゴールを挙げて、勝負強さを見せつけた。2年目にして31試合8ゴール。高卒新人2年目での8ゴールは、日本代表にも選出されW杯にも出場した柳沢敦以来の、クラブトップタイ記録だった。シーズンクライマックスとなるチャンピオンシップ第2戦では、決勝点へとつながるPKも獲得した。