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本田圭佑をVVVに推薦した“先生”。
吉田と川島に通じる名古屋での秘話。
text by
中田徹Toru Nakata
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2018/03/20 17:00
名古屋時代、フェルホーセンの指示を聞く本田。当時からその才能は嘱望されていた。
「川島について、面白い話をしよう」
「川島について、面白い話をしよう。普通、監督は戦力になる選手を抱え込もうとするだろう? しかし、私は違った。
名古屋の監督として最初の年を終えた後、私は彼に『君はチームを変えたほうが良い』と言った。私の言葉を戦力外通告と受け取った川島は『えっ、チームはもう俺のこと、いらないの!?』と怪訝な顔をした。
『違うんだ、永嗣。名古屋にとって君は重要なキーパーだ。でも、うちには楢崎正剛がいる。彼が負傷したら、名古屋のゴールを守るのは君だ。しかし、何も無ければ永嗣の出場機会は無く、君の成長が止まってしまう。これは私の問題でない。君の成長の問題なんだ。だから、永嗣。君は名古屋を出ろ。確実にプレーできるチームに移籍するんだ』
川島はすぐに私の言葉の、本当の意味を理解した。永嗣は川崎フロンターレに移籍してレギュラーになり、成長して日本代表になった」
その川島を、リールセ(ベルギー)のアイメ・アントゥエニス監督(当時)に紹介したのもフェルホーセンだった。
「旧知のアイメに『GKは欲しくないか?』と電話したら、『今、探しているんだ』という答えが返ってきた。それからリールセと、川島のマネージャーの間で話が進んでいった」
まず気持ちよくフットボールする環境を。
フェルホーセン門下の日本人選手は、いずれも規模の小さなローカルクラブからヨーロッパでのキャリアをスタートさせている。
「本田、吉田、川島はヨーロッパに来て小さなクラブからスタートした。VVVとリールセには、ビッグクラブ特有のプレッシャーとは無縁の、気持ちよくフットボールする環境があった。そして毎試合、プレーできたことも重要だった。まずは、そこから。3人のクオリティーとメンタルがあれば、後は勝手に結果が付いてくる」
理路整然とした語りの中に、教え子を慈しむような温かさと優しさが溢れている。私は日本人選手たちが「セフはまるで先生のようだった」と言っていたことを思い出した。
「私は選手たちのことを、プレーの面でも、人間の面でも成長させてあげたいだけなんだよ」
本田圭佑、吉田麻也、川島永嗣の七転び八起きのサッカー人生を見ていると、フェルホーセンの教えが少なからず生きていることに感じ入るのだ。