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平山相太の愛されすぎ“怪物伝説”。
マック禁止、看板キック、投げキス。
posted2018/03/07 17:00
text by
木本新也Shinya Kimoto
photograph by
Getty Images
もしオランダでもう1年踏ん張っていたら、もしケガさえなければ……。
勝負の世界に「たら、れば」が御法度であることは重々承知しているが、そう思わずにはいられない。かつて“怪物”の名をほしいままにした平山相太が、12年半の現役生活にピリオドを打った。
32歳。プロ1年目の2005年に、「3大会連続出場を目指す」と目標に掲げたW杯の舞台に立つことなくスパイクを脱いだが、そのキャリアはまさに波乱万丈だった。
筑波大を休学('06年4月に自主退学)して、'05年8月にオランダ1部ヘラクレスに入団した。'05-'06シーズンは、デビュー戦となった同20日のデンハーグ戦でゴールを決めるなどチーム最多8得点を記録。11月20日のRBC戦では、華麗なテクニックでマークをかわして鮮やかな左足ボレーを決めるなど、強烈なインパクトを残した。
当時、ヘラクレスの監督を務めていたのが元ジェフ市原(現千葉)のボス監督。月2回程度のペースで、平山に個別で戦術レクチャーを施すなど自ら獲得に動いたストライカーを1人前に育てようと手ほどきをした。
“マック禁止令”なのにファストフード。
だが、'06年夏にボス監督がフェイエノールトに引き抜かれると、環境が一変する。'06-'07シーズンの始動日に平山が体重オーバーで姿を現すと、ブローノ新監督から激昂された。オランダの食事に馴染めずにファストフードに走り、クラブから“マクドナルド禁止令”が出されていた中での失態だった。
「やる気がないなら練習に来なくていい」
ゲキを飛ばしたつもりの強化担当者からの言葉を、戦力外通告と受け止めた。
当時は欧州クラブに在籍する日本人が少なく、周囲に愚痴をこぼせる相手はいなかった。孤立を深めて、'06年9月に退団。失意の帰国のはずが成田空港で「日本に帰って来られて、うれしい。日本が恋しかった」と笑顔で語り、大挙した報道陣を仰天させた。