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寺原隼人が17年目のシーズンへ。
直球に求めるのは速さより“動き”。

posted2018/02/28 07:00

 
寺原隼人が17年目のシーズンへ。直球に求めるのは速さより“動き”。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

高卒1年目となる'02年は14試合を投げ6勝2敗1セーブ、防御率3.59。最速157kmの豪腕で寺原フィーバーを巻き起こした。

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

PROFILE

photograph by

Hideki Sugiyama

 29泊に及ぶ宮崎生活が終わる。3月1日、ホークスの春季キャンプの打ち上げと共に福岡に戻る。

 もう何年もキャンプ取材の“完走”を続けている。長期出張は体もきついけど、財布もしんどい。だって、地鶏も焼酎も絶品なのだから仕方ない(笑)。繁華街の橘通り周辺には行きつけの店もいくつかある。味も当然ながら居心地の良さがバツグンなのだ。

 宮崎は、人がとても温かい。のんびりした県民性。方言の癒し具合も“そだねー”にだって引けをとらない。

 そんな宮崎で生まれ育った、寺原隼人。

 大リーグのスカウトが計測した98マイル(約157.7km)の剛速球で、一躍全国に名を轟かせたのが21世紀最初の夏の甲子園大会のことだった。

 '01年のドラフト会議。ダイエー、中日、横浜、巨人の計4球団から1位指名を受け、右手で当たりくじを引き当てた王貞治監督に導かれてホークスへと入団した。

 当時は、ほんの数年前まで万年Bクラスだったが、黄金期へと移り変わったころだ。若手に勢いがあった。まだ20代前半の斉藤和巳がいて、同期には杉内俊哉。1年後のドラフトでは年上の和田毅と新垣渚もプロ入りした。

松坂大輔の記録を塗りかえた甲子園。

 寺原はチームの誰からも弟のように可愛がられた。やはり南国育ちの彼には、剛腕投手という称号がどこか似つかわしくなかった。

 若き日の心中を、このように振り返ったことがある。

「高校生の頃は松坂(大輔)さんに憧れていて投げ方も真似していました。3年生の夏は松坂さんの甲子園記録(当時最速151km)を塗り替えたいという気持ちがとにかく大きかったです。

 でもそれを実現したことで、周りからは当然そのような目で見られるし期待もされます。だけど実際は、プロに入ったら速い球を投げる人はバンバンいたし、自分がガムシャラに投げた球を簡単に打ち返されたし。プロに入ってからしばらくは僕の中で一番つらい時期でした」

【次ページ】 能力ほどに成績はついてこなくても。

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