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ユーベやナポリのオファーを蹴る!
セリエA、地方LOVEな男たち列伝。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2018/01/25 11:00
リーバはセリエAでは通算241試合で143得点を挙げ、3度の得点王に輝いた。イタリア代表でも通算35得点で'70年W杯の準優勝に貢献。
最初は「騙されて世界の果てに来てしまった」が。
戦時中生まれのリーバは幼くして父を事故で亡くし、北部ロンバルディア州の貧困と社会的抑圧の中で育った。
18歳でカリアリに着いた後、「俺は騙されて世界の果てに来てしまった。独りぼっちだ」と自暴自棄になりかけていたリーバを、島に大勢いた漁師や羊の放牧民たちは日ごとに夕食に誘った。
そうやってリーバは、カリアリというチームが発展の遅れる島に勇気を与える存在であることを感じ取っていった。
「あるとき、チームメイトの1人から『なあ、(ユベントスへ移籍せずカリアリに)残ってくれ』と頼まれた。『そしたら、うちの台所工事の代金ローンが最後まで払える』。あの頃の年俸なんて雀の涙さ。まとまった額を当てにできたのは1試合ごとの勝利給だけだ。稼ぐにはグラウンドで結果を出すしかなかった。俺のゴールが頼みの綱だったんだな」
トリノかミラノでは医者から全治2週間の診断書をもらえる程きついファウルを受けなければPKはもらえない、と言われていた。そんな時代だった。
カリアリはリーバの「11」を永久欠番にしている。
還暦を祝うインタビューで、旧知の記者から「ユベントスからの誘いを断り続けたことに後悔はないか」と問われたリーバはこう応えている。
「現役だった頃はいっぱしにプライドを持っていたから、口では後悔していないと言っていたが、本当は“あれでよかったのか”と自問自答したこともあった。もし強豪クラブへ移籍していたら、少なくともあと3回は優勝できていたはず」
「だが、サルデーニャ島の人たちは俺に限りない愛情を注いでくれた。今でもそうだ。まるで俺が今もゴールしているかのように扱ってくれる。これこそ金には換えられないことだ。だから、今なら確信をもって言える。俺が『NO』と言ったことは間違いじゃなかった」
現役引退後も島に残り、カリアリで余生を送る元ストライカーは御年73歳になった。リーバにとって本当の“故郷”とはサルデーニャ島に他ならない。今から13年前、カリアリはリーバがつけていた背番号11を永久欠番にしている。