“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
柏U-18から青森山田転入の1年間。
中村駿太、涙のラストプレーと感謝。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byGetty Images
posted2018/01/14 11:30
前年度王者で得点源の役割。その重責を1年間でも経験した中村は、プロの世界でもタフさを見せるだろう。
神谷優太から受けたアドバイスを胸に。
下した決断は青森山田への転入だった。これはAFC U-19選手権で神谷優太(愛媛FC)とチームメートとなったことも大きかった。神谷も高3に上がる直前に東京ヴェルディユースから青森山田に転入した。中村にとってみれば“先駆者”だった。
「バーレーンで神谷くんと、それについて話していたんです。僕は何気なく聞いていたのですが……優太くんはこう話したんです」と話し、神谷からもらった言葉をこう続ける。
「最後の1年間、あの決断を下して本当に良かった。仲間や監督、スタッフが支えてくれた。本当に人間的に大きく成長したし、精神的にも肉体的にも凄く逞しくなった。青森山田に行って、本当に良かったと思っている」
中村は「その言葉が僕の心にすっと入った。心が揺さぶられました」と話した通り、3月に青森へと渡った。
「お前、何になりたいんだ、プロだろ?」
そこは自分を“お客様扱い”しない、戦う集団だった。
「お前はプロになるためにここに来たんだろう? 俺はお前に相当厳しいことも言う。だからこそ常に100%で戦え。想いを燃やせ」
黒田剛監督から改めて覚悟を問われた際、中村は「はい、どんなことも受け入れる覚悟は出来ています。よろしくお願いします」とはっきりと答えた。そして正木昌宣ヘッドコーチからもこう言われたという。
「お前何になりたいんだ、プロだろ? 腹を括ってここに来たんだろ? だったら結果を出し続けて、周りを納得させろ。出し続けてこそ、周りは納得する。エースになりたいんだろ?」
渡された背番号は11。
「みんなが僕に期待をしてくれている。黒田監督、正木コーチの言葉は心に刺さりました。“絶対に期待に応えるんだ”と強く思った」(中村)
1トップとしてボールを集約する役割を求められたが、当初は周りとの差を痛感する日々だった。さらに相手から厳しいマークに遭い、自分らしさが出せない時期もあった。
「守備面でもハードワークを求められること、空中戦や球際で戦えないと厳しいことは分かっていた。そもそもそこが足りないと思って青森山田に来たので、何とか身に付けようと必死でした」