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<日本アイスホッケーの未来を背負って>
スマイルジャパン「心をひとつに」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNanae Suzuki
posted2018/02/01 11:00
右から大澤ちほ、藤本那菜、鈴木世奈。
最終予選グループを3戦全勝で突破し平昌へ。
'16年7月には、山中武司監督が就任。まずは守備力の安定を図るために堅固なディフェンスを構築し、スピードと運動量の強化も行なってきた。
さらにパスワークに磨きをかけるように努めて得点力向上を目指し、合宿では徹底した走り込みを実施した。後半になって相手の足が止まってきたときでも動ければ優位なポイントとなる。それらはフィジカルに勝る海外勢に対峙し勝利するための方策だった。
こうした強化の流れの中、'17年2月、平昌出場権をかけた最終予選グループ3試合で全勝をおさめ、オリンピックへの切符を手にした。ソチ大会出場をかけた'13年の最終予選では、敗戦もあり、劇的な勝利もあるという展開を経て勝ち抜いた。それと比べれば、4年間でのチーム力の向上は明らかだった。
'17年12月下旬には、長野で世界ランク4位のロシアとの2連戦が行なわれ、2試合目に2-1で勝利をおさめた。ロシアがフルメンバーであったとは言えなくても、屈指の強豪からあげた1勝もまた、たしかな進化の証だった。世界ランクが上の国々に食らいつく力をつけてきた。
だから今、大澤はチームに手ごたえを得ている。
「体力面も技術面もすべての面で足りないと感じたソチから、全部を上げてこられた4年間です。だからメダルに近くなったと感じられています」
今度こそ、メダル獲得を現実のものとする。その思いで厳しい走りこみにも耐え、必死に練習に打ち込んできた。そこまでこだわるメダルとは、どういう存在なのか。
大澤は言う。
「結果を残すことでアイスホッケー界を変えるということが私のいちばんの目的です。ソチのとき、勝てなかったけれど出場することで私たちの環境はとても変わりました。メダルという結果を残せば、もっと変わると思うんです」
ソチへの出場が決まったとき、選手たちがピザ屋や居酒屋でアルバイトをしながらアイスホッケーに打ち込んでいることが伝えられ、注目が集まった。かつては海外遠征時に自己負担を強いられることがあったことを考えても、競技に打ち込むには厳しい環境に置かれていた。
3人の中では年長の藤本が振り返る。
「バンクーバー大会の予選の頃、自分は大学生でアルバイトを掛け持ちしてプレーしていましたし、社会人の先輩方もアルバイトをしながら活動している人たちがいました。代表に入れなかったメンバーだと、大学を卒業したら就職するか競技を続けるかの瀬戸際に追い込まれる人たちも間近で見てきました」
ソチ大会の後、変化が見られた。社員として受け入れる企業が次々に現れたことで競技に打ち込みやすくなった選手が増えたのである。