One story of the fieldBACK NUMBER
清原和博がプライドを覗かせた日。
「自分の名前が出て、嬉しい……」
posted2017/12/31 07:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Hideki Sugiyama
カレンダーを見ると、ゾッとする。まるでゲームの世界か何かのように、どんどん時間が自分の後ろへとすっ飛んでいく。「今年もあと○日……」。実感のない数字を突きつけられるたびに焦り、狼狽え、やがて必死に思い出す。時間よ止まれ、とばかりに今年1年の記憶をたぐるのだ。
3月のWBCに始まり、ボクシング村田諒太のタイトルマッチ、清宮幸太郎が散った西東京大会、カープの連覇、日本シリーズ……。記憶を早送りしているうちに、ある1日に私は止まった。
それは何か特別な試合が行われたわけでもない、何の変哲もない1日だった。
8月24日、白い壁の店の白いドアが開いて、清原和博氏が入ってきた。連載の取材のために月に2度、同じ場所、同じ時刻に会っていたが、いつも約束の時間よりも早くやってくる。
席に腰を下ろして向かい合うと、私はいつも「体はどうですか?」とその日の状態を聞くようにしていた。覚醒剤中毒、うつ病、糖尿病と清原氏はいくつもの病を抱えており、日ごとに浮き沈みがあるからだ。
甲子園の最多本塁打記録を抜いた中村奨成について。
ただ、この日、私たちにはそれよりも先に話すべきことがあった。浅黒く日焼けした清原氏もどうやらそれを待っているらしかった。
――広陵の中村くんが清原さんの記録を超えましたね。
そう聞くと、清原氏は嬉しいような、悲しいような何とも言えない表情でこう言った。
「まあ、いずれ抜かれるとは思っていましたから。しかし、こういう時期にああいう選手が出てくるというのはねえ……。まあ、素晴らしいことですよね」
その2日前、夏の甲子園では準決勝で広陵高校の中村奨成が2本のホームランを放ち、大会通算6本として、1985年に清原氏が打ち立てた1大会最多本塁打記録を32年ぶりに塗り替えたのだ。それが私たちが話すべきことであり、とりわけ清原氏が自分で言ったように、記録が破られたのが「こういう時期」だったということに、2人とも不思議なものを感じていたのである。