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山本昌「中高生にスライダーは危険」
大谷・マエケンは投げなかった。
posted2017/12/19 11:00
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
AFLO
高校生や大学生投手に関する記事を読んでいて、ふと疑問に思うフレーズがある。
それは「完成度」という言葉だ。
かくいう筆者もかつてはその言葉を使用してきた人間なのだが、あの男のメジャー挑戦で、高校生や大学生の時点で「完成度」は語るべきではないという確信に至った。
あの男とはもちろん、エンゼルスへの入団が決まった大谷翔平である。
メジャーで二刀流が継続できるかどうかも注目されるが、今回は彼のピッチングについての考察である。
大谷の持ち球と言えば、最速165kmのストレートと鋭く変化するスライダー、落差のあるフォーク、時折挟むカーブだ。ストレートについてはわざわざ語ることもないが、スライダーの変化、フォークの落差も彼のピッチングを支えるツールだ。常時160kmを超えるストレートとのコンビネーションで鋭い変化球が来ては打者はひとたまりもない。
高校時代、大谷は意識的にスライダーを投げなかった。
実は大谷は高校時代、この球種のうち、スライダーをほとんど投げていなかった。それも意識的に。
高校2年時に左足を故障した大谷は、その夏の甲子園出場後から治療に専念し、ほとんど練習ができなかった。故障箇所が下半身だったために練習は限られたことしかできず、休息と栄養のためにチームの全体寮を離れるほどだった。
そのおかげで身体は大きくなったのだが、技術が間に合わなかった。
3年春の甲子園では、当時大阪桐蔭の藤浪晋太郎(阪神)との対決が注目を浴びたが、打者としては1本塁打を放ちながら、投手としては11四死球9失点で敗戦。本人は相当悔しがったものだ。
高校時代の大谷がスライダーを投げない選択をしたのは、投球フォームに安定性を欠いたからだ。
花巻東高時代の恩師・佐々木洋監督は「(大谷は)スライダーを投げると身体を横に振ってしまい、ストレートがいかなくなっていたんです。逆にカーブはいいフォームじゃないと投げられないので、そちらを優先させていました」と語っている。
これは興味深い話だ。
大谷は最後の夏、甲子園出場を逃している。一方で、当時のライバル藤浪が春夏連覇を果たしたので、たびたび「完成度の違い」で2人は比較された。
だが、それは「甲子園」を物差しにしただけのものであって、本当の「完成」ではなかったことは、その後の2人を見れば一目瞭然だろう。