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川崎の小林、大島ら獲得に教訓あり。
内田篤人に“フラれた”名スカウト。
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph byTetsuro Kaieda
posted2017/12/13 10:30
現役時代は小柄なアタッカーとして知られた向島。今は光る原石を見つけるための活動を続けている。
まだ無名だった清水東・内田篤人に目をつけていた。
これまで数々の成功をものにしてきた向島だが、苦い思いをしたこともある。
2006年、清水東高から鹿島アントラーズに加入し、やがて日本を代表するプレーヤーとなった内田篤人(ウニオン・ベルリン)。当時、無名のサイドアタッカーを鹿島が発掘し、一本釣りしたと話題になったが、じつは向島も目をつけていた。
清水東の監督を通し、チームの練習に参加してもらいたいと申し出たところ、先に鹿島の練習にいく予定になっているという。向島はおとなしく引き下がり、順番を待つことになった。ここが勝負の分かれ目。内田が川崎の練習場である麻生グラウンドに足を踏み入れることはなかった。
「もう鹿島に決めましたと連絡を受けました。そのときは僕の経験が浅く、アプローチが弱かったんです。チームの実績も鹿島とはまだ差があった」
別クラブで飛躍すれば気持ちの落としどころはあるが。
いまの向島であれば、先回りして練習参加をねじ込んだかもしれない。だが、これは相手が悪かった。鹿島のスカウトは椎本邦一。Jリーグきっての名スカウトと知られた平野勝哉のパートナーを長く務め、薫陶を受けてきた人物である。
ほとんどのクラブは2、3日程度の練習参加だが、椎本は最低でも1週間は参加させて選手の力をじっくり引き出し、クラブの魅力を余すことなく伝える。強豪クラブには優秀なスカウトがいることの好例だ。
このように獲得競争に敗れる、あるいは選手とは合意していても、指導者の横やりが入り、ご破算になるケースもある。その選手が飛躍を遂げていれば向島の気持ちの落としどころは見つかるが、成長のイメージを下回る場合は、自分が獲得に成功していればどんな未来があったのかとやるせない思いが湧き上がる。