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20歳、40歳、元代表が必死に……。
Jトライアウトは選手生命の瀬戸際。
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph byTetsuro Kaieda
posted2017/12/08 17:30
トライアウトで必死のプレーを見せた塩沢(右)。35歳の苦労人の眼光はいまだ鋭かった。
「ボロボロになるまで、自分が納得いくまで」
長野ではJ2昇格を目指して戦ったが、その仕事は志半ばで終わった。
「松本から長野に移籍し、県全体を引っ張っていければと考えていた2年間。ある程度は自分の役割を果たせたと思いますが、後悔のほうが大きいですね。何より、チームをJ2に上げられなかった。そこで味わった喜び、悔しさを新天地で生かしたい。ボロボロになるまで、自分が納得いくまでプレーしたいです」
代表初招集から3年、坂井達弥はキャリアの瀬戸際に。
トライアウト2日目、参加選手リストに坂井達弥(大分トリニータ)の名があった。坂井の存在が一躍脚光を浴びたのは、鹿屋体育大からサガン鳥栖に加入して2年目の2014年8月。新しく日本代表監督に就任したハビエル・アギーレにより抜擢され、9月のキリンチャレンジカップ・ウルグアイ戦で代表デビューを飾る。
華々しいキャリアが開けるかと思われたが、ほどなくして勢いは陰りを見せる。2015年、松本に期限付き移籍。そこから坂井の流浪の日々が始まった。
同年7月、予定された期間を短縮して鳥栖に復帰。2016年6月、V・ファーレン長崎に期限付き移籍。2017年、大分に期限付き移籍。この3シーズン、ピッチに立ったのはわずか19試合のみ。目立った成果を残せず、キャリアの瀬戸際に立たされることになった。
坂井は自らの足跡をこう振り返る。
「プロになって1、2年目は順調に試合に出られました。そこでもっと成長し、考えながらサッカーをやらなければいけなかったんだと思います。自分なりにきちんとやっていたつもりではいたんですが、足りなかった」