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浦和をアジアの頂点に導いた男。
ラファ・シルバを支える母の言葉。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byAFLO
posted2017/12/07 17:00
加入1シーズン目にして12ゴールを決め、浦和の前線に定着したラファエル・シルバ。海外からの注目度も急激に上がっている。
フットサル少年からコリンチャンスの下部組織へ。
サッカーやフットサルで子供たちの集う「大会」と名が付くところには、決まってプロのスカウトが来ると言われるブラジルだ。そのゴールセンスはあるスタッフの目に留まる。彼を欲したのは、名門コリンチャンスの下部組織だった。
「でもフットサルより、大きな選手がたくさんいたんだ。あまり目立った存在にはなれなかったけど、そこで揉まれて逞しさを身に付けていった。その甲斐あって、コリチーバでプロ契約を結ぶことができた」
フットサル少年から名門コリンチャンスの下部組織入り。そしてブラジル南部の古豪コリチーバでプロ契約――。一見とんとん拍子に見える彼の人生は、一路順風に進んで行ったわけではない。むしろ、険しい道のりだった。光を失い途方に暮れ、暗闇のなかを彷徨った時期もあった。
「このバス代を、食費に使ってよ」
幼少の頃、両親が離婚している。物心がついた頃には、母と姉との3人で暮らしていた。消防士だった父から毎月仕送りが届いたが、ようやく3人で暮らしていける程の額だった。
月末には母が食費の工面に頭を悩ませていることが、ラファエル少年にも何となく分かった。そこで彼は普段はバスで往復する練習場までの道のりを歩いた。そして「このバス代を、食費に使ってよ」と母に差し出した。
そんなことをする必要はないと言いつつ、その想いを汲みとって微笑む母を見て、ラファエル・シルバは嬉しくなった。少し大人になれた気がした。
生活が苦しくなる時期はあったが、辛いと思ったことはない。末っ子長男のラファエル・シルバにとって、母と姉に支えられる空間と時間は居心地が良かった。むしろ、家族3人でいればいつも笑顔が絶えない。慎ましくも幸せを感じられる日々を送っていた。
しかし16歳の時、その最愛の母マルタが亡くなってしまう。ラファエル・シルバが人生で最も大切にしてきた人を失った。同時に、温もりに包まれたささやかな日々も喪失した。
彼は「結局母のために何もできなかった。その無力感に苛まれた」と振り返る。そして一度、自分自身をどん底の闇へ追い込んだ。慰めや励ましの言葉に触れるだけで崩れ落ちそうだったから、すべてを遮断して自分と向き合ってみた。絶望の淵に身を置き、何かが起きるのを待った。