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女子体操界の40年間の計画、結実――。
村上茉愛の金メダルに込められた執念。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2017/10/11 11:40
3歳の時から体操を始めた村上は21歳。小学生時代から多くの大会で活躍した天才少女でもあった。
14歳コマネチの出現によって気づかされたこと。
競技フロアで村上の表彰式の準備が始まろうとしているときだった。ミックスゾーンで取材に応じた塚原千恵子女子強化本部長は、日本でちょうど朝を迎えている池田敬子さん(83歳、現全日本ジュニア体操クラブ連盟会長)に電話を掛け、歴史的金メダルの喜びを報告した。そして報道陣に向き合うと、感慨深そうにこう言った。
「夢と思っていた金メダルをモントリオールで獲れたことに、何か縁を感じる」
'76年モントリオール五輪。28歳で日本女子体操陣のチームリーダーとして現地に赴いた塚原(当時日体大教諭)は、ルーマニアの天才少女の出現に激しいショックを受けた。当時の日本女子は、若手は一部で社会人や大学生が中心だった。
「世界はすでに14歳で優勝する時代になっている。社会人になってからでは間に合わない。ジュニアを強化しなければならない」
こうして日体大を辞職して朝日生命に入り、ジュニアの育成を開始した。
ジュニア強化の重要性に気づいて40年。ようやく……。
一方、池田さんもまた、モントリオール五輪を境にジュニアの強化に本腰を入れた。村上の優勝後に日本協会を通じて出したコメントではこのように語っている。
「ジュニア強化の重要性に気づいて40年。その環境を育ててきて、ようやく女子の金メダル獲得という念願がかなった」
また、村上を指導する瀬尾監督は朝日生命出身。塚原本部長が若い頃に情熱を注いで鍛え、世界に出て行った選手だった。日体大2年だった'92年にはバルセロナ五輪に出場し、現役を退いた後は後進の指導に携わっているのだ。
栄光を刻む男子の陰に隠れながら、日本の女子体操界はコツコツと地道な苦労を重ね、「いつか金メダルを」と目指してきた。女子体操の歴史が変わった地で「村上茉愛」というヒロイン誕生の瞬間を迎え、新たな歴史の一歩を踏み出したのは、なんと喜ばしいことか。