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女子体操界の40年間の計画、結実――。
村上茉愛の金メダルに込められた執念。
posted2017/10/11 11:40
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AFLO
カナダ・モントリオール。1976年にこの地で開催されたオリンピックは、世界の体操界に衝撃を与えた大会として知られる。
ルーマニアからやってきた14歳の“妖精”ナディア・コマネチが、史上初の10点満点を出し、そして、連発した。
それから41年――。
10月2日から8日まで行なわれた体操世界選手権で、コマネチさんは大会アンバサダーとして競技開始前や表彰式に登場し、連日温かい拍手を送られていた。
こうして迎えた大会最終日の8日(日本時間9日)。今大会で誕生した男女7人の新チャンピオンの1人として、世界にその名をとどろかせることになったのが、種目別女子ゆかの村上茉愛(日体大)だ。
予選2位で種目別決勝に進んだ村上は、冒頭の片足4回ターンを丁寧にまとめて好スタートを切ると、H難度の大技・シリバスをはじめ、ボーナス点をもらえるアクロバットの連続技もピタリと着地を決めるなど、最後まで隙のない演技を披露した。
演技構成の難度を示すDスコア5.9点は出場8選手で最も高く、出来映えを示すEスコアも8.333点とまずまず。14.233点で見事に優勝を飾った。日本女子の金メダルは、'54年ローマ大会で平均台優勝を飾った田中(現姓池田)敬子以来2人目で、女子のゆかでは初の快挙だった。
「今回獲っておかないと、東京五輪は無理」
ゆかの2日前にあった女子個人総合決勝では、予選を首位で通過しながら平均台の落下が響いて4位に終わり、号泣していた。
「ゆかで(金メダルを)獲らないと日本に帰れないと思っていた。個人総合からの2日間はネガティブな自分が出てしまい、恐かった」
今大会はリオ五輪の同種目優勝者、シモーン・バイルス(米国)が休養中で、予選首位通過だったラーガン・スミス(米国)は大会中の負傷で棄権していた。強豪は不在。だからこそ、思った。
「今回獲っておかないと、東京五輪は無理」
期する思いは非常に強く、プレッシャーを感じるのも無理はなかった。
そんな中で実力通りの演技を見せて優勝した。「練習通りのものを出せたのは成長の証だと思う。人生で一番良い演技だった」。ホッとしながら話す表情に、愛らしさが漂った。