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女子体操界の40年間の計画、結実――。
村上茉愛の金メダルに込められた執念。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2017/10/11 11:40
3歳の時から体操を始めた村上は21歳。小学生時代から多くの大会で活躍した天才少女でもあった。
初出場の'13年、4位の結果に会場からブーイングも。
メダルを獲れるだけの素質を持っていることを誰もが認めていた。
池谷幸雄体操倶楽部に通っていた小学5年生の頃から「シリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)」をマスター。試合でも小6ですでに使っていた。以前、初めてできたときの記憶を尋ねると、「あまり何も考えず、恐いと思ったこともない。すぐにできたので」とサラッと話していた。
それでも表彰台に手が届かないというのが現実だった。
初出場だった'13年のアントワープ世界選手権では、高難度のアクロバットを豪快に決めたものの、3位のラリッサ・ヨルダケ(ルーマニア)に0.134点及ばず4位。
このときは、点が出たときに会場からブーイングが起きたほどで、女子体操界のレジェンドであるオクサナ・チュソビチナ(ウズベキスタン)も「マイの演技はとても良かった。3番に入っていても良かったと思う」と話していたが、とにかく結果を受け入れるしかなかった。
ダンス系の正確性、表現力が不足していた。
どうにかメダルをつかみ取りたい。日本チームは国際審判の採点傾向や、減点箇所をつぶさに精査し、村上や、同じくアクロバットの得意な宮川紗江の点がもう一歩伸びない理由を突き止めようとしていった。
そこで判明したのが、ダンス系と呼ばれるターンやジャンプの正確性が不足していることや、技と技のつなぎのところの表現力が足りていないということ。
この情報をナショナルチームとして共有した。村上を指導する日体大の瀬尾京子監督は、点を取れる演技をつくりあげるための研究や工夫、努力を重ねた。
こうして今年8月から曲や振り付け、演技構成を変更。今回はその結果の金メダルだったのだ。村上のゆかでの優勝は、パワー不足という日本女子のイメージを覆すことにもつながった。