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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園優勝からガラリ低迷…崇徳は“なぜ強くなった”のか? 広島の私立、専用球場、寮の完成…崇徳OB・山崎隆造が証言する、他界した“ある熱血監督”の話
posted2026/03/19 06:03
早稲田大学野球部監督を経て、崇徳野球部も率いた應武篤良前監督(2018年撮影)
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph by
Kota Inoue
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崇徳の監督に就任した経緯について應武篤良は生前、「OB会長が監督に……っておかしいでしょ!」と私に漏らしていた。しかし、それは本音ではなかったかもしれない。
現監督の藤本誠の証言だ。
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「早稲田(の監督)を終わられてからかな。『崇徳に戻る準備をするから』と、ずっと言われてました」
應武と同学年で、広島カープで活躍した山崎隆造もその意思を感じ取っていた。
「本人から直接聞いていたわけではないですけど、OB会長になった時点で、監督になるんだろうなと思っていましたよ。母校を再び甲子園にという思いが強かったので」
應武は早稲田大監督としてのラストシーズンとなった2010年秋、斎藤佑樹(元・日本ハム)らを擁して明治神宮大会優勝という最高のフィナーレを飾った。勇退直後に、複数の高校、大学から監督就任の話があった。それらのオファーをすべて断りながら、最終的に母校の監督に就いた。
空気変えた熱血監督、64歳で他界
應武は乗り気ではなかったのか。それとも、心のどこかで望んでいたのか。その真偽を確認する術は、今や存在しない。ただ、断言できるのは、「監督・應武篤良」が、崇徳野球部再興の足掛かりとして最善手であったことだ。
人や組織を動かすものは何か。利害関係もあるだろうが、最後は“熱意”だろう。
應武が監督に就任して、「それまでは集まることも少なかった」という山崎らセンバツVメンバーが昂った。それに後輩たちも続き、OB会全体で現役を支援する機運が高まった。
環境面も大きく改善した。2021年、地元銀行の福利厚生施設だった運動場を学校が買い上げ、野球部専用グラウンドとして整備した。学校から自転車で20分程度の距離にあり、平日も使用できる。山崎が感慨を込める。
「理事長が、ものすごく野球部に対して理解を示してくださった。間違いなく應武が持ってきてくれた流れですよ」
グラウンドの完成から1年が経った、2022年の9月7日。應武は、64歳の若さでこの世を去った。甲子園出場は叶わなかった。志半ばで亡くなった盟友を山崎が偲ぶ。


