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甲子園の風BACK NUMBER
ナゾの甲子園監督、初出場で初優勝…“広島史上最強チーム”から50年、崇徳高を復活させた重要人物とは? 元カープの伝説的OB・山崎隆造の証言
posted2026/03/19 06:02
2024年に完成した崇徳(広島)野球部の専用寮
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph by
Kota Inoue
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それまで淡々とインタビューに応じていた崇徳の監督、藤本誠の頬を涙がつたった。
昨秋の中国大会、33年ぶりのセンバツ甲子園出場を決定的にした準決勝の勝利後に、「應武前監督への思いは?」と問われた瞬間だった。
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「指導者としてのいろはをたたき込まれて、私自身が成長することができましたので。本当に感謝しています。誰よりも勝つことにこだわっていた方だったので」
カープOB山崎隆造の証言
應武篤良。2022年9月にこの世を去った闘将は、崇徳の歴史と今回の復活出場を支えた最重要人物である。
崇徳は今回が4度目の春出場で、夏を含めると計6度目の甲子園となる。出場回数では突出していないにもかかわらず、広島で強豪として認識されているのは、ひとえに“ある1年”が劇的だったからである。應武が正捕手を務めた1976年、センバツ初出場初優勝の快挙を成し遂げたのだ。
当時、主将としてチームを束ねていた、山崎隆造が述懐する。
「全国制覇なんて夢のまた夢じゃないけど、そういうイメージでみんなやっていたと思いますよ」
山崎、應武らの学年は、わずか14人しかおらず、練習場所も他部と共用の校庭だった。
「野球部だけじゃなく、ラグビー部がいる。アメフト部もいる。サッカー部もいたかな。狭いグラウンドに色んな部活が入り乱れてましたね」
謎の監督がいた「オレは運を持っている」
加えて、崇徳の初代監督で、当時チームを率いていた久保和彦は、「野球経験の有無が不明」の指導者だった。山崎も「久保先生の野球歴について、あまり聞いた記憶がない」と言う。それでも、脳裏にこびりついた記憶が一つある。山崎ら選手を前に久保はこう壮語したというのだ。


