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岩瀬仁紀が歩んだ苦難の950登板。
見栄とも娯楽とも無縁の野球人生。
text by
伊藤哲也Tetsuya Ito
photograph byKyodo News
posted2017/08/07 12:05
プロ野球最多記録の通算950試合登板を達成した、日本球界が誇る“鉄人”岩瀬。原因不明の肘痛・しびれを乗り越えての偉業達成だった。
舞台裏では「引退」の2文字が脳裏をよぎって――。
それでも、昨季、心が折れる“事件”があった。
2016年8月6日のDeNA戦。1点リードの8回に5番手でマウンドに上がった。
これが節目となる900試合登板。しかし、この日は大乱調だった。無死満塁のピンチを招くと高城俊人に右翼越え打を浴びて同点。続く桑原将志にも勝ち越しの2点左前打を打たれ、1死も取れず3失点でKOされた。
ベンチに帰る途中に花束を受け取ったが、ぼうぜん自失。
「言葉がない。結果がすべて……」
メモリアル登板を飾れず報道陣の前で必死に声を絞り出した。ただ、その舞台裏では「引退」の2文字が脳裏をよぎっていた――。
これまでたとえ打たれても、翌日には気持ちを切り替え、奮い立たせてマウンドに立ってきた。そして結果も残してきたからこそ、42歳の今も勝利の一翼を担う。そんな鉄腕も、屈辱だった「900試合登板」の後遺症には悩まされたということだ。
「入団して数年の頃の体になってるんじゃないかな」
自らを守護神に抜てきしてくれた森繁和新監督の下、「ダメなら引退」で臨んだ2017年シーズン。その意気込みはキャンプイン前の合同自主トレの姿に表れていた。
顔がひとまわり小さくなり、腹回りも見違えるようにシェイプアップ。90キロだった体重は、8キロ減の82キロに変貌を遂げていた。大好きなコーラや炭酸飲料を極力抑え、食事時間も変更。体重は絞っても筋力は落とさないよう、自主トレ先の鳥取でも自らを限界まで追い込み続けた。
その過酷なトレーニングを目の当たりにした中日・勝崎耕世コンディショニングコーチは「入団して数年の頃の体になってるんじゃないかな」と、20代の頃の状態に戻ったその肉体改造に目を細めた。