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借金3億円から巻き返した「海賊」。
Bリーグ横浜の“正しくない進化”。
posted2017/07/04 17:15
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
B-CORSAIRS/T.Osawa
「なんで、ビーコルなの?」
Bリーグ初年度の1試合あたりの平均観客動員数に目を向けると、そんな声があがる。
動員数1位は天皇杯を制した千葉ジェッツ。2位はBリーグ初代王者の栃木ブレックス。3位は旧bjリーグを牽引してきた琉球ゴールデンキングスだ。ここまでは想像しやすいだろう。気になるのはその先だ。
4位は日本のバスケどころである秋田ノーザンハピネッツ。5位にbjリーグの創設メンバーである新潟アルビレックスBBである。
そして6位に食い込んだのは横浜ビー・コルセアーズ(通称:ビーコル)だった。
そのビーコルと秋田、新潟の平均観客数の差はそれぞれわずか49人、5人だった。
それだけではない。Bリーグ初年度は企業チーム主体の旧NBLのチームが、観客数を大きく伸ばす傾向にあった。では、bjリーグ出身チームで最も動員数を伸ばしたのはどこだったのか?
65%も動員数を増加させたビーコルだったのだ。初年度のB1入りは奇跡だったと言われたビーコルは、独特な世界観とともに存在感を放っている。
「手の内を明かしてしまうと面白くなくなるでしょう。だから、あまり語ってこなかったんですけど……」
代表取締役CEOの岡本尚博はそう話す。彼らの躍進には確かな方法論と綿密なプランがあったのだという。
資金繰りが悪化しながらもbjリーグ優勝を遂げた。
「社長のあの一言で、完全に丸め込まれてしまったんですよね」
後悔しているかのようなセリフを、嬉しそうに口にするのは、広報を務める石合未夏だ。横浜市出身で、大学までバスケット一筋。ビーコルがbjリーグの参戦前、チームが産声をあげたころから在籍する女性スタッフだ。
彼女は大学3年生の秋から、bjリーグ参入にむけて動いていたビーコルにアルバイトとして入り、翌秋にbjリーグを迎えたこともあり、そのまま入社した。
ただ2年目となる2012-2013シーズンには当時の運営会社の資金繰りが悪化。ただ、そんな状態にありながらチームは快進撃を続け、最終的にはbjリーグで優勝を果たした。