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塩谷司も巣立った水戸、J2での異彩。
西ヶ谷監督「ウチは再生、育成工場」
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/06/17 08:00
好調水戸の指揮を執る西ヶ谷監督。彼の愛妻は中継レポーターを務めているが、試合後に“夫婦インタビュー”が実現したことも。
ベンゲルの遺伝子を継ぐ、西ヶ谷監督という存在。
「負けていないといっても、勝ち切れていないとも言えますし、勝った試合もギリギリですよ」と話すのは、西ヶ谷隆之監督である。2015年シーズンの途中にヘッドコーチから昇格した彼は、DFやボランチとして5つのクラブでプレーした元Jリーガーだ。稼働6シーズンという短いキャリアのなかで、現在につながる邂逅に恵まれている。
「1996年に名古屋グランパスでプロになり、ベンゲル監督のもとでプレーしました。その指導は、ひと言で表現すると緻密でしたね。食事中の水の種類にまで気を遣っているのは良く知られていることだと思いますが、次の試合に100%の状態で臨むためのオーガナイズは、トレーニングはもちろんメンタルの持って行き方なども含めて、緻密に組み立てられていたと思います」
反町、都並、柱谷……多くの代表経験者からも学ぶ。
アーセン・ベンゲルという超一流の監督にプロ1年目で触れた西ヶ谷は、プロ最終年の2001年に若き日本人指揮官のもとでプレーする。アルビレックス新潟の監督に就任したばかりの反町康治である。スペインでサッカーを学んできた37歳の理論と情熱にも、西ヶ谷は刺激を受けた。
「ミーティングなどで使う映像が、当時はまだ自分たちで撮影した8ミリとかVHSテープだったと思います。パソコンで映像を編集するいまよりも、かなり手間がかかったはずですが、反町さんは自分たちのフィードバックも相手のスカウティングも、映像を使って分かりやすく選手に伝えていました。勝つための準備には時間を惜しまない、という印象があります」
現役引退後の西ヶ谷は育成年代の指導に関わり、東京ヴェルディの下部組織や大学サッカーで経験を積んでいく。Jリーグへ戻ってきたのは2012年で、新潟でチームメイトだった黒崎久志監督のもとでヘッドコーチを務めた。しかし、成績不振を理由にシーズン途中で辞任し、翌'13年から水戸のヘッドコーチとして柱谷哲二監督に仕えた。
「ヴェルディで一緒に仕事をさせてもらった都並敏史さんも、柱谷さんも、日本代表としてたくさんの経験を積んでいる。Jリーグでも試合に出るより控えのほうが多かった僕からすれば、学ぶことは本当にたくさんありました」