猛牛のささやきBACK NUMBER
10年前の恩義を福良監督に返す時。
小谷野栄一が乗り越えた引退危機。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2017/05/02 08:00
4月27日の試合ではチームをサヨナラ勝ちに導く内野安打を放った小谷野。勝利のために見せるしぶとい打撃には味がある。
「何かあったらすぐタイムかけてあげるから」
日本ハム入団4年目の'06年、小谷野はパニック障害を患った。パニック障害とは、突如、激しい不安に襲われ、動悸や息切れ、吐き気などの症状があらわれる病気だ。そうした発作を繰り返すうちに「また発作が起きるのではないか」という予期不安を感じるようになり、1人で外出できなくなるなど日常生活が困難になることもある。
小谷野も一時は外出できない状態になり、実家に帰った時期もあった。そうしてグラウンドから離れていた小谷野を、再び試合の場に立たせたのが、当時、日本ハムの二軍監督代行を務めていた福良監督だった。その年のフェニックス・リーグで小谷野を起用したのだ。
「何分でもいいから。何かあったらすぐタイムかけてあげるから」
その言葉に小谷野は救われた。
「本当に嬉しかったです。僕はもう引退だと思っていましたから、『どうせ最後なら、吐きながらでも倒れながらでもやってやろう』と思えた。実際、セカンドを守りながら倒れたこともあったけど、そういう時は『今日はよく頑張った。立てたね』と言って交代してくれた。本当に一番大変だった時に支えてくれて、もう一度野球をやれるようにしてくれた方です。あんな指導者いませんよね。しかもプロなんて戦う集団でしょ。そこで僕は戦えていない人間だったのに、『何分でもいいから』と言ってくれたんですから」
「あ、こんなことになっても野球やれるんだ」
何カ月もまともに練習ができていなかったにも関わらず、そのフェニックス・リーグで小谷野は過去にない好成績を残した。
「自信になったんですよ。その1カ月間はもう“死も覚悟して”みたいな状況で、地獄のように苦しかったけど、結果を残せちゃった。それで、『あ、こんなことになっても野球やれるんだ』と思えたんです」
小谷野が日本ハムでレギュラーをつかむのはその翌年だ。