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権田修一、味スタで流した涙の裏側。
「あのピッチに立つことが怖かった」

posted2017/04/06 11:15

 
権田修一、味スタで流した涙の裏側。「あのピッチに立つことが怖かった」<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

味の素スタジアムに、鳥栖の一員として立った権田修一。不器用が免罪符になるわけではないが、この男が悪い人間でないのもまた事実なのだ。

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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 人生で初めての九州暮らし。自宅から車を走らせると、サガン鳥栖の練習場に掲げられたエンブレムが目に飛び込んでくる。

「なんか、先週までとエンブレムの見え方が違うというか。ようやく、ここの一員になれた。これまではどうしても僕もみんなも『元FC東京の権田が来た』という感じだったと思う。でもあの試合を経て、前に進める気がしている」

 権田修一にとって特別だった、あの試合。4月1日、FC東京対鳥栖戦。約2年ぶりに味の素スタジアム(以下味スタ)のピッチに立った。中学からプレーしてきたFC東京の一員では、もうない。アウェイチームの守護神として90分間、大ブーイングを浴びながらの帰還となった。

 試合では連係ミスから失点を重ねてしまった。勝つことで古巣への恩と自分の存在を示したかったが、残念ながら思い描いていた姿とは真逆の結果となった。

後ろめたさとともに向かったFC東京のゴール裏。

 試合後、FC東京のゴール裏に向かった。号泣していた。耳をつんざくほどのブーイングを鳴らしたサポーターも、固唾を呑んで見守った。

 今回の移籍には後ろめたさがあった。

「僕の移籍にあたって、複雑な思いや怒りを持っているサポーターがいた。そう思うのも、無理はないと思う。僕が謝らないといけなかったのは事実。裏切る形になってしまったから」

 時計の針を、約2年前に戻す。

 2015年7月下旬のリーグ戦。FC東京は仙台相手に勝利したものの、試合後の権田の心は波立っていた。チームのプレー内容は、ここのところ停滞し続けている。彼は常に疑心暗鬼の中でサッカーをしていた。それだけではない。ピッチ内外でさまざまなことがうまくいかず、心も少しずつ疲弊していた。

【次ページ】 オーバートレーニング症候群、そして渡欧。

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