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権田修一、味スタで流した涙の裏側。
「あのピッチに立つことが怖かった」 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2017/04/06 11:15

権田修一、味スタで流した涙の裏側。「あのピッチに立つことが怖かった」<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

味の素スタジアムに、鳥栖の一員として立った権田修一。不器用が免罪符になるわけではないが、この男が悪い人間でないのもまた事実なのだ。

フィッカデンティがかけた優しい言葉。

 試合後、ロッカールームに引き上げた。目に入ったのは、フィッカデンティ監督の顔だった。2年前、同じスタジアム、同じシチュエーションで、彼と衝突した。以降、権田の時計の針は止まってしまった。あの時と同じ人間が、奇しくも違うチームになっても監督として眼前にいる。

「それまで張り詰めていた糸が、切れました」

 その瞬間、権田は泣き崩れた。

 すると、フィッカデンティ監督が声をかけた。

「東京のサポーターのところに行かなくていいのか? お前が今日、辛かったことはもうわかっている。俺だって、かつてのチーム相手にものすごくプレッシャーがあった。もし、1人でサポーターの前に行くのが苦しいなら、俺も一緒に行こう」

 権田は試合前から指揮官に伝えていた。

「ブーイングを受けること覚悟で、僕は東京のゴール裏に行こうと思っています」

 その決意を思い出すと、「大丈夫です。しっかり1人で行ってきます」と言い、クシャクシャの涙顔のままもう一度グラウンドに出ていった。

自分のユニフォームを掲げるファンが目に入り……。

「ごめんなさい!」

 泣き叫ぶ声で、大観衆に向かって頭を下げた。ブーイングを送っていたサポーターたちは、複雑な思いをしまい込み、「顔を上げろ!」、「何で謝るんだよ!」、「これからも頑張ってくれよ!」と、方々からエールを送った。

 権田がひざまずく場面があった。土下座をしたという報道もあったが、本人は否定した。それには理由があったという。

「ホルンに行ってからも、ずっと国際郵便で手紙を送ってくれていた女の子のファンがいた。僕は前から『FC東京が優勝できるように頑張る』と話してきた。その女の子が、僕の背番号1が入ったFC東京時代のユニフォームを掲げて、スタンドで立っていたんです。それが目に入った瞬間に、いたたまれなくなった。立っていられなくなりました」

【次ページ】 「これからは、マッシモと呼んでもいいですか?」

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