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権田修一、味スタで流した涙の裏側。
「あのピッチに立つことが怖かった」
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/04/06 11:15
味の素スタジアムに、鳥栖の一員として立った権田修一。不器用が免罪符になるわけではないが、この男が悪い人間でないのもまた事実なのだ。
欧州での移籍を模索した結果、FC東京とは契約解除。
そして今冬、移籍を模索した。ポルトガルのクラブに練習参加した。ただ、やはり欧州の市場で日本人GKが高く評価される土台はまだない。それは川島永嗣のここ数年の苦戦からもわかるだろう。それでも権田は、市場がクローズする1月31日まで諦めきれなかった。
一方、所属するFC東京は2月末のリーグ開幕に向けて、早々にチーム編成を固める必要があった。10代からプレーし、成長してきた守護神への思いはもちろんあったが、仮に1月下旬に権田の欧州での移籍がまとまった場合、そこからハイレベルな正GKを探すことは難しい。
苦渋の決断。両者は、契約解除という形で離別することになった。そして権田の欧州移籍も、実現しなかった。
「あのピッチに立つことが、怖かったんです」
浪人状態となった彼にオファーを出したのが鳥栖だった。当初イタリア人GKを探していたが、実績もある権田に白羽の矢を立てた。
権田は、自分が他のJクラブでプレーするとは想像していなかっただろう。ただ、彼には辛苦の経験で一度、プレーの歩みを止めてしまった過去がある。意欲に溢れる今、再びピッチに立たないという選択は、本望ではない。
悩みに悩み、九州へと旅立った。結果として、それはFC東京のファンやサポーターからすれば、不義理の移籍となってしまった。
鳥栖の一員として迎えた、今回の味スタへの帰還。少し時間が経った今、権田は本音を吐露した。
「あのスタジアムに帰る、あのピッチに立つことが、怖かったんです。僕にとって、2年前の7月の仙台戦以来の味スタだった。あそこで僕の時間は、一度止まってしまった。でも、もう先に進まないといけない。そのためには、この怖さをいつか乗り越えないといけないものだと思っていた」