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「オレの方が、より新日本プロレスだ」
オカダに挑む柴田勝頼の危険な香り。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2017/03/29 08:00
アントニオ猪木、柴田勝久、そして、その流れを組む“純血ストロングスタイル”の柴田勝頼。
息子が本当にプロレスラーになるとは思わず……。
息子がプロレスラーを志す環境は生まれた時からそろってはいた。勝頼は小学生のころからプロレスラーになるつもりだったが、父親は息子が本当にプロレスラーになるとは思ってはいなかった。
だが、実際に高校を卒業する息子からプロレスラーになることを告げられると父親は至極喜んだ。
勝頼は1998年に新日本プロレスに入門した。デビューは1999年10月の後楽園ホールだった。
1999年6月、後楽園ホール。
父親は、レフェリーをやめて新日本プロレスを去るとき、その引退セレモニーでデビュー前の息子をきれいなボディスラムでマットに叩きつけた。
それは新日本プロレスに思いを馳せた親子の引き継ぎの儀式のようで感動的だった。
4月9日、国技館でIWGP王者オカダに挑戦する。
あれから18年。
長い回り道だったかもしれない。だが、柴田はこの18年を決してやり直したいとは思わない。
「誰にもまねのできない18年」を誇り高く泥臭く己の心に刻んで、オカダ・カズチカとの3年前の「約束」を果たすために、ニュージャパンカップの優勝者は挑戦者としてオカダの前に立ちふさがる。
柴田勝頼は4月9日、両国国技館のメインイベントでIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカに挑む。
オカダとのシングルは過去1度だけだ。2013年の夏。仙台でのG1クライマックス。感触はつかんだが、敗れた。だが、このオカダとの戦いを柴田は「楽しい」と言った。
柴田には自負がある。
「(オカダは)あの頃を知らないからね。そもそもが、かぶってないから、オレとアイツは。アイツの知らない新日本プロレスをオレは知ってるよ。そして、いまの新日本プロレスも知っている。2つとも知っているよ」