プロ野球亭日乗BACK NUMBER
小林誠司には元木大介の匂いがする!?
なぜ阿部は彼に坊主頭を命じたのか。
posted2017/01/13 11:30
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Hideki Sugiyama
「理想はあいつをレギュラーで使わなくてもいいチームを作ることだ」――巨人の長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)からこう言われ続けた選手がいた。
1990年代から2000年代にかけて活躍した元木大介である。
上宮高校では甲子園に3度の出場を果たし、特に3年夏の大会では1試合2本塁打を放つなど大活躍。その甘いマスクとともに一躍、甲子園のスターとなった。
その元木が一浪の末に念願の巨人入りを果たしたのが、1991年のことだった。2年目の'92年には一軍昇格を果たし、長嶋が監督となった'93年には内野ならどこでもこなすユーティリティープレーヤーとして一軍に欠かせない存在へと成長した。そうして'97年に二塁、遊撃、三塁の3つのポジションをこなしながら101試合に出場すると、6年連続で100試合以上に先発。その間も内野の全ポジション('99年から3年間は外野も兼任)をこなし、定位置のないレギュラー選手としてチームを支えたわけである。
長所がそのまま短所に繋がってしまう元木の性格。
長嶋は元木のことを「クセ者」と呼び可愛がったが、その反面、元木のできるが故に見切ってしまうプレーを再三、嘆くこともあった。
何せ高校時代に甲子園大会で内野への平凡なフライを打ち上げて相手がそれを落球。ところが全力疾走を怠ってアウトになるという失態を演じて、当時の山上烈監督から叱責される姿が全国中継された選手である。野球頭が良く、とにかく相手の心理を読み、配球やプレーを予測する力に長けていた。それがプラスに出れば頭脳的なプレーと称されたが、その反面で先を見切って無駄なことは極力やらないことが“怠慢プレー”と揶揄されることもしばしばだった。
そうして長嶋が嘆くように発したのが、冒頭の言葉だったわけである。
ただ、元木の凄いところは、こうして監督がライバルをあてがっても、必ず最後は使わなければならないように仕向けるところなのだ。
困ったら元木がいる。
だから勝つには欠かせぬ選手だった。