球道雑記BACK NUMBER
10年間支えられた裏方との別れ。
ロッテ大嶺祐太は一本立ちできるか。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2016/12/27 08:00
2016年5月。日本ハム戦で、2回途中で交代を告げられた時の大嶺(右端)。結局、今季は4月2日・オリックス戦の1勝のみで終わった。
「漁野さんがいたから自分もここまで頑張れた」
まだ、右も左も分からない学生だった漁野の隣には当時、監督を務めていたボビー・バレンタインと、彼をこの世界に引き込んだ立花龍司、さらに担当スカウトと球団スタッフが一緒だった。
「浦和にある選手寮に、新人選手と年も近いトレーナーを置いて、選手育成に役立てようということで自分がチームに入ることになりました。その話の流れで石垣島に行くことになったんです」
この日の話を後日、大嶺に振ると彼もこう返した。
「よく覚えていますよ。あの日、漁野さんが来てくれて凄く嬉しかったです。自分がロッテに入るきっかけのひとつにもなりましたから……」
年も近く、同じ“ルーキー”の2人。選手とトレーナーの違いはあれど、大嶺もすぐに打ち解けることができた。
「漁野さんがいたから自分もここまで頑張れたし、自分が寮にいたころは屋上でストレッチを一緒に手伝ってくれたりもしました。本当に良い思い出ですよね」
ときに心を鬼にして指導することもあった。
若手のころはどちらかというとトレーニングが苦手だった大嶺。そんな彼に対し、漁野はときに心を鬼にして指導することもあった。
「漁野さんとは入団したときからの付き合いなんで、もう10年ですか……。自分がプロに入ったときは何も分からない状態だったので漁野さんには色々とお世話になりました。でも、最近、二木(康太)や原(嵩)、成田(翔)なんか若手を見ていると凄く羨ましく感じるときがあるんです。当時のスタッフが何もしてくれなかったわけではないんですけど、今は漁野さんが率先して色々とやってくれている。
もちろん自分たちのときもやってくれてはいましたけど、今はより厳しい言葉で伝えてくれていたり、熱心にトレーニングをさせている。そういうのを見ていると凄く羨ましいなって感じるときがあるんです。自分がそういう時期に、もう少しちゃんと取り組めていれば、今と結果も違ったんじゃないかと思うときがあったので」