オリンピックへの道BACK NUMBER
「45歳、49歳になっても向上する」
葛西紀明が目指す“9回連続”五輪。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2016/11/30 08:00
今季W杯開幕戦では着地の失敗が響き18位に終わった。それでも不屈のジャンパーは巻き返しに燃えている。
欧州での大声援は、葛西への大いなるリスペクト。
とはいえ、変化はあっても、高いモチベーションを維持していることに変わりはない。それを示すのが葛西のストイックな練習への姿勢だ。
ソチ五輪で7位入賞を果たした女子の伊藤有希は葛西が監督を務める土屋ホームに2013年に入社。同じジャンパーとして葛西の姿を間近で見てきた1人だ。
「ここまで追い込んで練習することができるんだ、と驚きました」
その取り組みがあるからこそ、葛西の今日までの歩みがある。ここまで長期間、第一線でいられる選手は稀というほかなく、それを支えるモチベーションの維持もまた、容易に真似することはできない。
だからこそ海外では、国内以上に早くから注目と敬意を集めてきた。例えば8位入賞した'10年バンクーバー五輪当時ですら、異例と言えるほど海外の記者が殺到し、数々の記事や特集が紙面に並んだ。もちろん今でも、ヨーロッパでの認知度の高さや大会での声援などに葛西へのリスペクトぶりは現れている。
「絶対に外されるもんか」という反骨心を胸に。
そんな葛西だが、キャリアの中で逆風にさらされることも少なくはなかった。2002年のソルトレイクシティ五輪、本人を含めてジャンプ陣が不振に終わると、「若い選手の育成を」という意見が出るようになった。
日本選手団全体で金メダル数「1」に終わった2006年のトリノ五輪後も、“ベテランの多さ”を問題だとされた。国際大会の代表に若手を派遣し経験を積ませるべきだという声や、「(五輪に)2度出てだめなら、もう出さなくていいのでは」という意見も出た。
さらに、ベテランを軽視する姿勢を持つヘッドコーチがいた時期もあったのも確かだ。
「絶対(日本代表から)外されるもんかという気持ちでやっていました」
周囲の厳しい視線に何度もさらされながら、それでも折れることなく進んできた。その足跡は、大怪我や不調によってどん底に落とされ、それでも再起を期して今歩んでいるアスリートたち、ベテランの領域に達してなお成長を志すアスリートたちにとっての希望であるのあろう。