“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
齊藤未月と神谷優太は17歳&18歳。
湘南の若手を伸ばす“チョウイズム”。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2016/05/13 17:00
神谷にアドバイスを伝え、ピッチ上に送り出すチョウ監督。厳しい戦いが続くリーグ戦だが、選手と監督の絆は強い。
10番・菊池大介や遠藤航も見出された。
菊池は2007年、16歳になる年に長野県のクラブチームから湘南ユースにやってくると、その年の7月にJ2リーグ・第26節の福岡戦で早くもJデビュー。これは当然、J2リーグ最年少出場記録だ。さらに高2となった翌年にはJ2で14試合に出場し、こちらもJ2最年少得点記録を更新している。
高校を卒業した2010年に草津に期限付き移籍をするが、1年で湘南に復帰。2012年にチョウ・キジェがトップチームのコーチから監督に就任すると、エースナンバーの10を託され、今も湘南の不動の10番として逞しくプレーを続けるまでに成長した。
遠藤は2008年に横浜市立南戸塚中学校から、当時ユースの監督を務めていたチョウに見初められ、湘南ユースに加入した。そして高3となった2010年に、トップチームコーチとなったチョウと、当時指揮を執っていた反町康治監督(現・松本山雅監督)に抜擢され、J1リーグで6試合に出場。プロ初ゴールもマークした。
翌年にレギュラーの座を掴むと、2012年には背番号3を与えられ、若きディフェンスリーダーとして揺るぎない地位を築き、2016年には浦和レッズに移籍。代表も含め、ますます期待の高まる選手に成長している。
高校時代は無名だった亀川諒史を抜擢。
いまやU-23日本代表に名前を連ねるまでに成長した亀川諒史は、高校時代は全くと言っていいほど無名の存在だった。
そもそも湘南が最初にオファーを出したのは、帝京第三高校の亀川のチームメイトだった。帝京第三・相良和弘監督の依頼で、その選手とセットで亀川を練習に参加させた結果、反町監督やチョウ(当時はコーチ)を始めとした首脳陣の目にとまり、亀川のみが入団に至るという想定外の展開になった。
亀川は1年目こそ怪我で苦しんだが、2年目にはチョウ監督に抜擢される。J1リーグの20試合に出場し、プロ初ゴールもマーク。このシーズンで自信を掴んだ彼はU-21日本代表にも選出され、2015年に福岡に移籍すると不動のサイドバックとしてクラブのJ1昇格に貢献。リオ五輪に出場するU-23日本代表においても、確かな存在感をもって名を連ねている。