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過去の“ブッフォン2世”とは違う!
ドンナルマはミラン唯一の希望。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2016/05/05 10:00
現在のミランでおそらく最も高額の移籍金がつくドンナルマだが、ベルルスコーニ会長は「売らない」と明言している。
部屋にはカカの壁掛け時計にミランの写真。
歳は小さいが、デカくて早い“ジージョ”の噂は、地元ナポリの耳にも入った。他のセリエAクラブも放っておくはずがない。ユーベやフィオレンティーナのスカウトが、勧誘のためにこぞって足を運んだ。そして、インテルへの移籍がほぼ決まっていた。
ただし、ジージョは物心ついたときから、熱心なミラニスタだった。
部屋にはカカの壁掛け時計に、ミランのチーム集合写真ポスター。クッションの色はもちろんロッソネロだった。
「体格=驚異的。テクニック&パワー=天性に秀でる。ゴールマウスとエリア内の位置把握能力+ゲームを読む判断力=凄まじいの一言。結論=万難を排してでも獲得すべきである」
ミラン育成部門のチーフスカウト、マウロ・ビアンケッシが、13歳当時のジャンルイジ・ドンナルマを視察したときのメモ内容だ。
やはり数年前に獲得したものの、ジェノアへ放出せざるを得なかった兄アントニオをはるかに凌ぐ逸材であることは間違いなかった。
母の条件は、たまに帰宅してラザニアを食べること。
獲得レースに出遅れたビアンケッシだったが「25年間のスカウト人生で最高の素材」と言い添えて、ガッリアーニ副会長へジャンルイジ獲得を強く進言した。報告を受けたガッリアーニは獲得を即断、25万ユーロを所属先に払って、あっという間に交渉をまとめてしまった。
州境を越えた移籍が許される14歳になった“ジージョ”は、800km離れたミラノへ勇躍乗り込んだ。
母マリアは引き留めたかったが、ときどきは手作りのラザニアを食べに実家へ帰ることと高卒資格を取ることを条件に息子を送り出した。
「家を離れるのは辛かったよ。でも、自分の夢を追いかけたかった」
それが、たった3年前の出来事だ。ホームシックは「3日で消えた」。