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4月9日、高校プレミアリーグ開幕。
東福岡vs.市立船橋の名勝負再び!
posted2016/04/08 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
東福岡と市立船橋。
赤と青の鮮やかなコントラストが描くピッチ上の戦いは、今や高校サッカー界における“名勝負”が確約されている試合と言っていいだろう。
近年、高校サッカー界は激動の時代を迎えている。Jリーグが誕生してまだ間もない頃は、ユース年代のサッカーにおいて、高校のサッカー部は一人勝ちの時代だった。中学年代にトップクラスの才能を持つ選手のほとんどが高校のサッカー部に進み、その中から韮崎(山梨)、武南(埼玉)、帝京(東京)、国見(長崎)、鹿児島実業(鹿児島)、市立船橋(千葉)、東福岡(福岡)と言った「マンモスチーム」が誕生し、高校サッカー界を席巻した。
「マンモスチーム」とは、ユース年代のトップスター達が1つの高校に集結し、最強チームとなること。
そのマンモスチームの多くでは、レギュラー選手11人中のほとんどがJリーガーとなる。長い間、マンモス中のマンモスと言われたのが国見と東福岡で、本山雅志を擁した1997年度の東福岡は、インターハイ、高円宮杯全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグ)、高校選手権の史上初となる高校3冠を達成し、公式戦52試合無敗記録を樹立した。
大久保嘉人を擁した2000年の国見は、インターハイ、高校選手権優勝はもちろん、国見単独で構成した県選抜チームで臨んだ国体(2006年以降はU-16の大会に変更。当時、長崎県選抜はすべて国見の選手だった)でも優勝しており、東福岡に次ぐ、史上2校目の高校3冠を成し遂げている。
だが、やがて高校サッカー隆盛の時代も終わりの時を迎える。
Jリーグがその歴史を重ねる中で、クラブの下部組織であるユースチームがメキメキと力を付け「プロ予備軍」として、中学年代のトップクラスの選手の多くがJユースに流れていくようになったのだ。
薄れゆく、名門高校サッカー部の存在感。
名門高校のサッカー部を選択するトップクラスの選手が減り、さらに全国各地のまだ無名の高校でも人工芝グラウンドや寮設備などを備えるようになり、全国的にサッカー環境が劇的に向上したことで、高校サッカー界における戦力分散が一気に加速することにもなった。
そして、こうした時代背景から徐々にマンモスチームは生まれなくなっていった。
結果、近年の高校選手権で2連覇を達成したチームは、1997&1998年の東福岡、2000&2001年の国見以降は存在せず、2005年度から2014年度までは、2013年度の市立船橋以外は、すべて初優勝校が誕生する事態となっていた。
だが、ここ2年間である異変が起きた。
それは、東福岡の復活劇だ。