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サッカー五輪代表のサイドにこの男を!
新潟・小泉慶の“アグレッシブ人生”。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2016/03/19 10:00
新潟ではルーキーイヤーからコンスタントに試合で起用されていた小泉。父親は元競輪選手でS級1班で活躍したトップアスリートでもある。
一度は呼ばれたU-22日本代表合宿だが……。
彼は自分の中で“大きな流れ”を感じているという。
「右サイドバックにケガ人が出ている中で、僕はこのタイミングで復帰をして、プレーしている。チャンスだと思っている」
昨年8月、彼はチームでの好調ぶりを買われてU-22日本代表候補合宿に初めて招集された。しかし、その前日に右第四中足骨を疲労骨折。長期離脱を強いられることになった。
「怪我をした瞬間、『あ、自分にはチャンスが無いんだ』と思った。初めて日の丸を背負えると思ったのに、縁がないなと……。
でも、今は今季のJリーグが絶好のチャンスだと思っているし、縁を感じている。だからこそ、僕は数字を残さないといけないし、チームを勝たせないといけないんです。気にしている数字はアシストとゴール。チームが上に行けば行くほど見られると思うので、チームの勝利にこだわりたい。最後の最後まで諦めず、まずこの新潟で頑張る。後悔はしたくないんです」
意図的に右SBで小泉を使い続ける吉田監督。
サイドバックはもう“急造”ではない。彼はもう本物のサイドバックとして、固い決意の下でプレーしている。
だからこそ、今季就任したDFラインからの組み立てを重視する吉田達磨監督も、高い技術とアグレッシブさ、そして攻守に関わり続けられる貴重な存在として、彼を右サイドバックとして起用しているのだ。
「ビルドアップに関わりながら、1対1で負けない、背後を取られない。これをやりながら、その中でも『90分間、ボールを欲しがり続ける気持ちを持て』と達磨さんには言われている。かなり頭を使わなければいけないけど、それによってサイドバックとしても成長を感じている。
昨年までは本能でやることが多かった。でも、達磨さんのおかげでサッカーの考え方が変わったし、本当に考える重要性を学んでいる。それが試合に繋がっている」