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中邑真輔、万感の新日本ラストマッチ!
そこではいろんなドラマが起きていた!!
posted2016/02/02 12:00
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Essei Hara
お別れは突然やってきて、すぐに済んでしまった。
1月30日、後楽園ホールで中邑真輔が新日本プロレス最後の試合を行なった。周知のように中邑は1月末をもって新日本を退団。2016年は新天地として、世界最大のプロレス団体・WWEへと歩みを進めて行くこととなった。
海外のサイトでは1月5日より中邑の退団、そしてWWE行き濃厚とのスクープが報じられていたが、新日本が正式に退団を発表したのは12日のこと。併せて30日の後楽園ホール大会がラストマッチとなることがアナウンスされたときには、すでにチケットはほぼ完売状態となっていたから、そこからは熾烈なチケット争奪戦が始まった。オークションサイトでは破格の値が付き、当日の立ち見券販売には300人以上のファンが列を作った。用意されていたチケットは規定の200枚だったから、100人以上の人たちが涙を飲んだ。果たして、ファンは消防法ギリギリの超満員の後楽園ホールで、中邑のラストを見送ることに。新日本にとっても青天の霹靂だったから、すべてが慌ただしく進んでいった。
2002年のデビュー戦から、波乱万丈の13年間。
メインイベントとなった壮行試合は、中邑&オカダ・カズチカ&石井智宏組vs.棚橋弘至&後藤洋央紀&柴田勝頼組の6人タッグマッチ。CHAOSの盟友たちと組み、棚橋、後藤、柴田という、退団会見時の中邑の言葉を借りるなら、「プロレスラーとしての物語の中で非常に重要な役割をしてきたメンツ」が対角線のコーナーに立った。
中邑はいつも通りの、つまりは最高のパフォーマンスでラストランを軽やかに駆け抜けるつもりだった。だが、やはり周囲がそうはさせなかった。見守るファンや仲間、そして対戦相手たちそれぞれの中邑に対する思い、感傷がことごとく空間で連鎖することとなる。
入場前、新日本の煽りV(試合前映像)制作を手がける大江健二による、丁寧に作り込まれた中邑のこれまでの軌跡が、ダイジェストとなってビジョンで流れた。2002年8月29日、日本武道館でのデビュー戦から、今年1月4日のAJスタイルズとの初対決までの、新日本での波乱万丈な13年間。
無論、バックステージでスタンバイをしていた中邑本人は、この映像を観ることができなかったが、音声だけははっきりと聞こえてきた。そのとき、「ああ、今夜が最後なんだな」と再認識したのだという。おそらく、ナレーションによって、自身の新日本での活動が走馬灯のように脳内を駆け巡ったことだろうが、目の前ではパートナーのオカダがそわそわしていて、こちらもいつもとはだいぶ様子が違う。
大「シンスケ」コールに包まれる中、6人中最後の登場で姿を現せば、オカダと石井の2人がロープを空け、リングに招き入れてくれた。もう試合前からさまざまなことが“トラップ”となり、すでに中邑の胸はいっぱいになっていた。だが、闘いは、それこそいつも通りに始まった。