プロレスのじかんBACK NUMBER
オカダが勝ち中邑はWWEの“世界”へ。
そして棚橋が言葉を失った1・4。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byEssei Hara
posted2016/01/08 12:00
1年前に号泣したオカダが今年は棚橋にリベンジ。その勝因を「俺が新日本プロレスを上にやるんだという気持ち」と語った。
身体も心も最強を目指していた中邑。
オカダvs.棚橋の頂上決戦のゴングが鳴ろうとしているとき、インタビュースペースではまだ中邑のコメントが続いていた。
この中邑真輔がプロレスラーになりたいと思った理由は、純粋に「強くなりたかったから」だという。しかも、その「強さ」とは腕っぷしのことだけではない。アマレス時代、大事な試合になるといつも緊張してしまい実力を発揮できない自分がいた。その精神面の弱さをも克服して強くなる――とずっと考えていた。
大好きだったプロレスの世界では、1年に百何十もの試合数があり、時には1週間ぶっ続けで試合が行なわれたりしていた。メンタルの弱い中邑にしてみたら、プロレスラーが怪物のように見えた。
「どんな神経してんだ、コイツら」
そう思った。
この世界に飛び込めば、否応なく精神面が鍛えられるのではないか。そう思ったのが第一の理由である。
自分のすべての夢を叶えてくれる新日本プロレス。
プロレスラーに憧れた理由はほかにもあった。
「マスクマンになってみたい」
「華やかな世界で闘ってみたい」
「海外に行きたい」
高校・大学時代に海外留学したいという夢もあったが、それは家庭の経済状況が許さなかった。プロレスには海外修行や海外遠征というものがある――。
自分の持つあらゆる夢を叶えてくれるのがプロレス。なかでも、そのすべてを叶えてくれそうで、なおかつ自分の好みにも合っていたのが、新日本プロレスだった。
実際、デビューしてすぐにロスに修行に送り出され、早くも夢がひとつ叶った。練習はとても厳しかったが、アマチュアではキツい練習をしてもその先にあるのは基本的に“名誉”だけなのに、プロは飯も食わせてくれて、寝るところだって用意してくれる。しかもデビューさえすれば、(自分次第ではあるが)名声もカネも手に入る。なんていい環境なんだと心の底から思った――若手だった頃の話だ。