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松山英樹&石川遼のキャディ大対談!
「2人は同じ価値観を持っている」 

text by

桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2016/01/01 10:30

松山英樹&石川遼のキャディ大対談!「2人は同じ価値観を持っている」<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

松山英樹のキャディを務める進藤さん(左)と、石川遼のキャディを務める佐藤さん(右)。

東北福祉大時代の思い出話は登場人物が超豪華!

 松山、石川に導かれ、米ツアーを職場とした2人にはこの秋、米国で別の同級生がその輪に加わった。岩田寛。2014年に悲願の初優勝を飾り、15年には米ツアーの入れ替え戦・ウェブドットコムツアーファイナルズを勝ち抜いて、晴れてレギュラーツアーの出場権を手にした。宮里優作とともに、同級生の日本のトッププロだが、大学生活を振り返ると、2人が置かれていた境遇はまったく違ったと言っていいらしい。

佐藤「僕は実家から大学に通っていて、大ちゃんや優作は寮生活だった。寛は……実家だったけど、なぜかよく寮にいたね」

進藤「寛の実家は練習場で、福祉大のゴルフ部員はそこで練習させてもらっていたんです。僕らが授業を終えて、練習に行くのは午後6時か7時くらいだったんだけど…あいつはいつも、入り口から入ってすぐ右側のソファに座って、テレビで野球を見ていた」

佐藤「ゴルフじゃないんだよね(笑)」

進藤「それか、お父さんに怒られて、ケンカになる寸前だったか、頭にタオルを巻いて、練習しているか……」

佐藤「“海賊王”みたいだった。でも昔から練習の虫でした。練習を始めるまでが遅いんだけど……あの練習場が午後9時までしかやってなかったら、寛はプロになっていなかったかも。深夜12時くらいまでオープンしていたからね」

進藤「優作と比べたら? 天と地ですよ。宮里優作はスーパースター。寛もプロを目指していたけれど、大学時代はレギュラーではなかったし」

佐藤「最初は苦戦したもんね。試合に出ても、最下位に近いことの方が多かった」

進藤「キャディをやると、ラウンド中になだめるのが大変だった。最近ですよ、落ち着いたのは。でもホントにすごいと思う。あの年で自制心を覚えて、変われたんだから」

仲間に最初に連絡をくれるのは決まって岩田。

佐藤「まだキレてしまうこともあるけれど、大人になった。その場の空気さえ崩さなければ彼は僕らにとってもやりやすい選手。これから、アメリカで自分が頼れる環境を作ることがまず大事だと思う。昔、米ツアーに挑戦していた横尾要さん、田中秀道さんも、アメリカではそこに苦しんで、寂しかったって言っていた。あいつは人見知りで、なかなか心を開かないけれど、周りにも目を配っていて、友達思い。仲間が優勝やナイスプレーに関わると、グループLINEで最初に『ナイス』ってメッセージをくれるのは寛だもん」

進藤「僕らはキャディですけど、仲間だった寛はプレーヤーとして米ツアーの舞台に立っている。すごくうれしいし、誇りに思う。日本でシード落ちしそうなシーズンもあって、一度モチベーションになればと思って『アメリカに挑戦してみたら?』なんて言ったことがあったんですけど、それを現実にしたんだから。2015年の全米プロでも改めて思った。(メジャー最少ストローク記録の)63を出したりしてね。『興味がない』と言っていた? そんなわけない! めっちゃ、うれしいはず。あのメンツの中で出したスコア。自信になる」

佐藤「心の中で、ガッツポーズしてるよ」

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