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“浦和の”武藤も現在ブレイク中!
興梠と共通する、師と仰ぐ選手とは。
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2015/06/04 11:20
“じゃない方”という嬉しくない言葉を跳ね返して知名度を上げてきた武藤雄樹。ロナウドという名前の意味を塗り替えたC・ロナウドのようになれるか。
興梠、武藤に共通する「柳沢敦」という存在。
そしてこの2人には、1つの共通体験がある。それは、昨季一杯で現役を引退したFW柳沢敦(現・鹿島コーチ)とのプレーから多くを学んだ、ということだ。興梠は鹿島アントラーズで、武藤は仙台で、プロとしてのキャリアがスタートして間もない時期に柳沢と出会い、多くのことを学んできた。
「ヤナさん(柳沢)と一緒にプレーできた時間は財産。直接色々と聞くことは少なかったけど、練習などでプレーを見て盗んだ部分はたくさんある。ヤナさんを目標にやってきたし、それを生かしたいと思っている」(興梠)
「仙台に入って1年目に、スタッフから『ヤナさんの動きをよく見ておけ』って言われて、学んだのは確か。特にオフザボールのところで、いつでも相手の嫌なところに入ることを徹底していたし、それを練習からサボらなかった」(武藤)
バイタルエリアでボールを受けてチームの攻撃を最終局面に導くこと、いつのまにか相手を出し抜いて得点を奪うこと。これは現役時代の柳沢が見せたプレーそのものである。近年の日本サッカー界でも類まれなマルチアタッカーだった柳沢の門下生が、ペトロヴィッチ体制の浦和で同じ時間を過ごし、共に才能を開花させているのは実に興味深い。
プロ1年目の仙台で直面した、東日本大震災。
流通経済大からベガルタ仙台に武藤が加入し、プロのキャリアをスタートさせたのは、2011年のことだ。クラブの寮に入り、希望を胸に抱きながら日々のトレーニングに打ち込んでいた矢先、忘れられない出来事が起こる。
2011年3月11日。日本を襲った東日本大震災である。震源地に近い仙台は、国内でも大きな被害を受けた地域のひとつだ。
ホーム開幕戦を翌日に控えたその日、試合へのメンバー入りが叶わなかった武藤はトレーニング後も仙台のクラブハウスに残っていた。スタッフは数名残っていたが、選手は武藤ひとりだったという。そして、大きな揺れが起こった。
「幸いなことに誰もケガ人は出なかったんですが、クラブハウスの天井が落ちてしまいました。もちろん、もっと酷い被害があった地域はあるんですが……」