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アロンソ「必ず、伝説を蘇らせる」。
“セナのホンダ”でやり残した仕事。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAP/AFLO
posted2015/02/24 11:30
「最初のシーズンは学んでいくことになる」と、契約直後にマクラーレン・ホンダを語っていたアロンソ。それでも……彼は3年契約まで交わしたという。
ホンダの栃木研究所を見て、アロンソは確信。
そんなアロンソのホンダへの興味が、確信へと変化したのは栃木県に新設された本田技術研究所四輪R&Dセンターであるさくら研究所を訪れたときだった。
ホンダの施設を見たアロンソは「技術的に勝てる可能性があると感じた」のである。
アロンソにはもうひとつマクラーレン・ホンダへ行く理由があった。それは8年前の苦い思い出を払拭するためである。
ルノーで2冠を達成したアロンソが、名門マクラーレンに三顧の礼を尽くして迎え入れられたのは2007年。ところがその同じ年、イギリス人の大物新人であるハミルトンもマクラーレンに加入してアロンソの地位が揺らいだため、両者の関係に亀裂が入り、アロンソは1年でチームを離脱することとなったのだ。
あれから8年が過ぎたいまも、アロンソの心の中にはそのときの傷が残っている。そして、アロンソは悟る。それは時間の経過だけでは消えない傷だと。
「あれ以来ずっと、僕の中でやらなければならないことがひとつだけ残っていたんだ。そして、今それをやりにマクラーレンへ行く。2007年にスタートした仕事を、やり遂げるために」
忘れられない……2008年末のホンダF1撤退。
そのアロンソのチームメートとなったバトンも、アロンソに負けないくらい、2015年にマクラーレンのステアリングを握ることを楽しみにしていたドライバーだった。それは2015年からホンダがカムバックしてくるからである。
「かなり辛いシーズンとなった2007年を過ごした後、2008年に入ると私たちは、大きくレギュレーションが変更となる2009年に向け、さまざまなトライ&エラーを行っている途中だった」というバトン。
ようやく、開発していたマシンが形となって見えた2008年末。ホンダは、F1からの撤退を発表した。
ホンダのスタッフとともに開発したマシンで、2009年に念願のタイトルを獲得したバトンだが、それをホンダのスタッフと喜び合うことはできなかった。
「7年前まで、僕たちは6年間、一緒にF1を戦っていたわけだけど、僕にとってもホンダにとってもやり残したことがまだある。それをやらずにF1から引退することはできない」