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二浪、プロでの葛藤、引退後の進路。
元SB江尻慎太郎の「人生のFA宣言」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/12/25 10:40
2011年の横浜時代には、65登板で防御率2.06という成績を残すなど活躍した江尻慎太郎。記者会見での応答も個性的で、多くのファンに愛された。
「野球に全く未練を感じなかった自分に愕然とした」
トライアウト後、戦力外を通告する直前まで移籍先を模索してくれていたソフトバンクから、「他球団に獲得の意思はない」という知らせが江尻に届いた。
“最後の審判”となる1週間を待たずして引退を決断したのも無理はない。ただ、そのこと以上に「野球に対して全く未練を感じなかった自分に愕然とした」と、江尻は苦笑いを浮かべる。
「それは本当に、びっくりするほどなかったんですね。トライアウトを受けて引退を決断するまでは、『50歳まで投げ続けて、死ぬまでユニフォームを着続けてやる』と思っていたんですよ。極端な話、家族をないがしろにしてでも、独立リーグとか台湾や韓国とか海外で投げるって気持ちも沸き起こるだろう。コーチになったとしても、ずっと若い選手と白球を追い続けるんだろうと思っていたし。
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でも、その気持ちが全く起こらない! 『どうした? 野球人・江尻慎太郎』って自分でも恥ずかしくなるくらいにね。よく、大活躍された選手のみなさんって引退会見とかで、『もっとやれた』とか後悔を口にするじゃないですか。自分にはそれがなかったわけですからね。『あ、俺、二流だったんだ』ってすごく思いましたよ。そこに気づいた自分が情けない」
13年間プロでやってきた選手が面接を受けて……。
2000本安打、200勝、250セーブなどを達成した「名球会選手」になることが一流の条件だとすれば、投手だけで言えば80年間のプロ野球の歴史のなかで一流の選手はたったの27人しかいないことになる。しかも、その多くが研鑽の過程で一種の悟りを開く、らしい。
ファンから“求道者”と呼ばれた元広島の前田智徳のように、高僧のごとくプレーの細部にまでこだわりを見せるようになっていくのだ。その視点から述べれば江尻の感情は、一流ではなく一般的なプロ野球選手の思考だといえる。それでも、プロの厳しい世界で13年も投げてきた功績は大きい。
そう伝えると、彼は「禅問答ですもんね。そう言っていただけると慰めにはなります」と胸をなでおろし、13年間、ユニフォームを着た自分の矜持と新たな目標を語り出した。
「そこはね、自分でも誇りに思って。13年プロでやってきた選手が面接とか受けて一般企業に入ろうとするなんてなかなかないことだから、そういう道を自分で開拓していきたい気持ちは、今は強くなりましたよね」