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高1で「148km」、21歳の今「135km」。
元DeNA伊藤拓郎のトライアウト戦記。 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byGenki Taguchi

posted2014/11/21 11:20

高1で「148km」、21歳の今「135km」。元DeNA伊藤拓郎のトライアウト戦記。<Number Web> photograph by Genki Taguchi

プロ初登板となった巨人戦では谷佳知、長野久義ら経験豊富なバッターを打ち取った伊藤拓郎。帝京高時代のイメージを取り戻せれば、投手としてまだまだチャンスはあるはずだ。

ルーキーイヤーにはプロ初ホールドを記録したが……。

 この時点で伊藤の評価は、「ドラフト1位候補」でも「注目の高卒選手」でもなく、単なる「指名有力選手」。横浜から支配下登録選手のなかで最下位となる9位で指名された現実が、その証左でもあった。

 それでも、ルーキーイヤーは新人投手では唯一、一軍マウンドを経験した。

 2012年10月5日の巨人戦。4番手として登板し1回を2奪三振の無失点に抑え、8日の広島戦でも、1回を無失点で切り抜けプロ初ホールドもマークした。

「やっぱり、伊藤は早く出てきたな」

 高校時代に「怪物」と呼ばれたルーキーの台頭に周囲は喜んだが、当時のストレートが復活したかといえばそうではない。むしろ、140kmを切ることだって、すでに珍しいことではなかった。

スピードよりも、スライダーを磨いて生き残ろう。

 代わりに伊藤の生命線となったのがスライダーだった、というわけだ。

 球速アップが叶わず暗中模索する。そうしてたどり着いた答えが変化球。野球に詳しい人間から「短絡的すぎるシフトチェンジではないか?」と批判されるかもしれないが、決断を下したのには伊藤なりの目的と自信があったからだ。

「高校1年で148kmを出してから、インタビューになると話の基準はいつもそこで。でも、プロに入ってからは、昔の自分を追い求めてもフォームを崩してしまうかもしれないし、あまりスピードのことは考えないようにしていました。

 それより『今、自分にできることをやろう』と。スライダーはシニア時代から抑えられる球種だったし、(カウント)3-0からでもストライクを取れる自信があったんで。そこを磨いていこうと思いました」

 スライダー投手への転身を決意したものの、2年目以降は一軍昇格を果たせないなど結果を出すことはできなかった。

 大きな原因をひとつ挙げるとすれば、フォームのバランス。上体が前のめりになる癖があり、そうなるとリリースポイントが安定しなくなる。得意のスライダーも指にかかりすぎてワンバウンドになってしまう……。

 こういった悪循環に陥ってしまったことを述べれば、「指導者に壊されたんじゃないか?」と妙な詮索をする人もいるだろう。人間、体格や骨格は人それぞれである。コーチの指導が万人に適応するとは限らない。指導者の意見を受け入れたことで本来の投球を見失い、球団から戦力外を宣告されたプロ野球選手は少なくないが、言ってしまえばそれは結果論でしかない。

【次ページ】 自分の理想のフォームをずっと追い求めていた。

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