オリンピックへの道BACK NUMBER
「岩崎恭子2世」から3年――。
渡部香生子がパンパシで挑む“世界”。
posted2014/08/19 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Yusuke Nakanishi/AFLO SPORT
「まさか、5秒台が出るとは」
6月のジャパンオープン100m平泳ぎで、1分5秒88の日本新記録を出して優勝したあと、渡部香生子(かなこ)は驚きと、そして喜びを隠さなかった。
これまで渡部は、どちらかと言えば200mを得意としてきた。しかも、この直前までヨーロッパ遠征に出ていて、帰国して2日後のレースだった。それを考えれば、驚くのも無理はない。
だがその泳ぎは、苦しい時期を乗り越えてきた渡部のたしかな足取りをあらためて思わせるものであった。
14歳で頭角を現した「岩崎恭子2世」。
現在高校3年生の渡部が大きな注目を集めたのは、3年前、2011年5月に行なわれたジャパンオープンのことだ。
もともと個人メドレーを専門としていた渡部だったが、肩の不安から負担の少ない平泳ぎに取り組むようになっていた。そしてこの大会、平泳ぎ3種目すべてで優勝したのだ。
このとき、渡部は14歳。
平泳ぎの14歳という事実は、1992年のバルセロナ五輪で14歳にして金メダルを獲得した岩崎恭子を多くの人に連想させた。渡部の活躍を伝える記事の中には、「岩崎恭子2世」という言葉もあった。
重圧に負けたロンドン五輪では悔し涙を。
翌年はロンドン五輪のシーズンだった。代表選考を兼ねた日本選手権では、100mこそ6位だったものの、得意とする200mでは2位となる。代表入りの条件である派遣標準記録も突破し、ロンドン五輪代表入りを果たす。
全競技の日本代表選手中最年少の15歳での出場ということもあり、大会が近づくにつれて、注目はさらに高まっていた。そして2012年8月、渡部はロンドンの地で200mに臨む。だが、予選こそ突破したものの、準決勝では予選より1秒ほどタイムを落としてしまい14位。決勝に進むことはかなわなかった。
レースの後、赤い目で渡部は言った。
「ぜんぜん雰囲気が違いました。その雰囲気の中で自分の泳ぎができないといけないと思います」
好調だった頃より早く突っ込んでいるようにも見え、フォームはどこか乱れていた。大会前からこれほどの注目を受けたのは、それまでの人生になかったことだった。どうプレッシャーに対応していけばよいのか、難しい局面も少なくなかっただろう。その中で自らの状態を立て直すことはかなわなかった。
それでも帰国後には、高校総体で2種目優勝を果たすなど、しっかり自分を取り戻していた。