オリンピックへの道BACK NUMBER
忘れられぬ五輪代表落選の屈辱……。
ベテランはパンパシからリオを目指す。
posted2014/08/18 10:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Yusuke Nakanishi/AFLO SPORT
若い世代が台頭する一方で、着々とキャリアを積んできた選手たちもいる。まだ果たせていない目標へ向かって、あきらめることなく泳ぎ続けてきた。
その1人に、古賀淳也がいる。27歳、背泳ぎの選手だ。
古賀には輝かしい実績がある。世界選手権で手にした金メダルだ。2009年、イタリア・ローマで行なわれた大会の100mで優勝している。それは日本選手として北島康介以来となる世界選手権2人目の金メダルだった。そして今日に至っても、金メダリストは北島、古賀そして昨年の大会で獲得した瀬戸大也の3名しかいないことも、その重みを物語っている。
コーチの言葉が、腐っていた古賀を救った。
当時の活躍の背景には、2008年の北京五輪の代表になれなかったことがある。代表落ちした後、古賀は腐りかけていた。髪を染め、ピアスをして、とても競技に打ち込んでいるとは思えない時期があった。
態度を変えるきっかけになったのは、コーチの言葉だった。
「そんなことでは何をやってもだめだ」
おそらく、必然のタイミングだったのだろう。その時かけられた言葉が、古賀を一変させた。自分のありかたを反省し、競技人生の甘さも痛感した。練習への姿勢はさまがわりした。
それが飛躍へとつながった。
金メダリストとなった翌年の2010年にも、日本選手権100mでは2年連続で入江陵介を破り優勝、パンパシフィック選手権100m銀メダルなど活躍を見せた。
飛躍から一転、2011年はスランプに陥る。
だが、順調であったかのような歩みは暗転する。
2011年、東日本大震災により中止となった日本選手権のかわりに開かれた世界選手権代表選考会100mで、入江に敗れ2位。世界選手権代表には選ばれたものの、大会の100mでは準決勝敗退に終わった。2009年とはあまりにも対照的な結果だった。
このシーズン、古賀が首をひねる場面が何度も見られた。
「うーん、気持ちだと思います」
「練習で出来ている泳ぎが、試合ではできないですね」
伸び悩む泳ぎをたずねられると、そんな言葉が口をついた。