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<もう一度、代表へ> 大久保嘉人 「遺言――亡き父との約束」 

text by

益子浩一

益子浩一Koichi Mashiko

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photograph byYoshiyuki Mizuno

posted2014/05/13 15:30

<もう一度、代表へ> 大久保嘉人 「遺言――亡き父との約束」<Number Web> photograph by Yoshiyuki Mizuno

自転車の後ろに乗せた父は「やけに軽くなっちまった」。

「あの時は、癌も抱えていたんやけど、体力がないから手術もできなかった。マジョルカにいる時に、もう余命を言われていたくらいやったからね。最後の旅行になるかも知れないと思って、スペインで病院の手配もして、マジョルカにも連れて行ったんです。もう歩くのもしんどそうやった。そんな状態が続いていたのに、おかんから『お父さんが大阪に行った』って連絡があったんよ。いや、いや、無理やで……って、思ったよね」

 夜8時すぎ。最寄り駅からタクシーに乗って、家までやって来た。「腹が減った」という父を、自転車の後ろに乗せて、寿司屋に連れて行った。食事を済ませると、今度は近くの銭湯まで自転車を走らせた。「やけに軽くなっちまったな」。背中越しにふと、思った。一緒に湯船に浸かるのは、小学生以来だったろうか。幼い頃、トラックの運転手だった父の助手席に座り、夜中まで配達を手伝ったこともある。家に帰ると、市営住宅の小さな四角い風呂に一緒に入った。それから長い年月が経ち、恥ずかしさもあって、2人の間にはほとんど会話はなかった。それでも弱った体を気力だけで支え、遠い九州から大阪まで来た父の優しさを、感じていた。

「ああ、俺のことを心配して、来たんやな。ワールドカップで活躍する姿を、おとんに見せたかったな」

 そう思うと、また悔しさがこみ上げてきた。

「もう一回、日本代表に選ばれろ」という言葉を忘れずに。

 今、大久保はその時の心境に近づいている。父が天国に旅立った2日後の5月14日。実家近くの葬儀場であった通夜で、子供のように泣きながら、参列者にこう挨拶した。

「小学校を卒業する時、親元を離れて国見中学に行くことをためらっていた自分の背中を押してくれたのは、お父さんでした。そのおかげで素晴らしい恩師、大切な仲間、かけがえのない家族に出会い、支えられて、今日まで頑張ってこれました。これからも、お父さんがワールドカップ後も、ずっと言っていた『もう一回、日本代表に選ばれろ』という言葉を忘れずに、頑張っていきます。最後に、あれだけ好きだったお酒を、2人で飲むことができなかったことが、とても残念です」

 もう一度、日本代表に戻る――。それは、厳しかった父と交わした最後の約束になった。

【次ページ】 代表に入れるなら、よっしゃ、やってみようかなと思う。

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